アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

Risonanze erranti

断ち切られない歌 後篇の中 1/14

メルヴィル、船の歌 帆柱を立てる Prometeoの序章Prologoは、シューマン『マンフレッド序曲』冒頭の激烈な三連打の引用で締めくくられる。スコア上に4群のオーケストラの52段に跨る総奏が突如屹立する光景はまさしく音の柱だ。しかしここで見逃してはいけな…

断ち切られない歌 後篇の中 2/14

断片=船 Risonanze errantiの四分音符=30の大海原に浮かぶ断片も島ではない。メルヴィルの詩句を原文から切り出して、ノーノは島ではなく船を造った。先ほど言ったように、島と船を識別することは容易である。島には向きがないが船には向きがある。それが船…

断ち切られない歌 後篇の中 3/14

かわく船 「海に浮かぶ○○島」と比喩的に言われることは多いが、本当に海に浮かんでいる島はひょうたん島くらいなものである。いっぽう船は例外なく本当に海に浮かんでいる。船の魅力の半分くらいはこの「浮いている」という海との絶妙な関係性にある。飛ぶこ…

断ち切られない歌 後篇の中 4/14

船の配偶子 エルンスト・ユンガーの『母音頌』に則ってRisonanze errantiの言語を二種類に分類していたが、 メルヴィルおよびバッハマンの詩句断片:子音と母音の結合状態:語詞 Wortsprache シャンソンのこだま:遊離状態の母音:音韻 Lautsprache 本当のと…

断ち切られない歌 後篇の中 5/14

船の生殖孔 Risonanze errantiの作品世界には、南北戦争勃発直前の時の経過を描いたBattle-Pieces巻頭の三篇の詩が時間的配列を保ったまま現れることによって、死へ、そしてその先の戦争へと向かう一筋の不可逆的な時の流れが引かれている。この片道航路には…

断ち切られない歌 後篇の中 6/14

とりあえずシンメトリー、略してとりシン 「正面性」ということに関して穴と左右対称とのあいだには互換性がある。無地の平面に穴をひとつ空ける、するとそれだけで正面向きの印象が生まれる。穴を空ければ穴をとおる前後方向の動線が自然に生起するからであ…

断ち切られない歌 後篇の中 7/14

ヴェネツィア的シンメトリー 楽譜をひらいた者の眼にはシンメトリーへの並々ならぬこだわりだと映るものに関して、ノーノ自身が具体的に言及した機会は少ない。作品全体が前後半で鏡面対称をなすIncontri (1955) について、このいかにも図式的な様式を用いた…

断ち切られない歌 後篇の中 8/14

ヴェネツィア的シンメトリー(承前) 「絵画は時間を真向いから見、浴びるための、唯一の形式である」 *1 と中西夏之は言う。身贔屓のようにも聞こえるが、文学・音楽・美術の芸術三分野を比べてみればたしかにそのとおりかもしれない。 奏者が客からみて正…

断ち切られない歌 後篇の中 9/14

船に乗る人、乗らない人 世の中には二種類の人間がいる、海に船を浮かべる人間と、浮かべない人間と。 「意欲的すぎる意志が、あなたの邪魔になっている(あなたがあまりにも意志的な意志を持っていることが、あなたの邪魔になっている)」 *1 、弓術の阿波…

断ち切られない歌 後篇の中 10/14

白鯨スタイル 『白鯨』のスタイルとはなにかといえばまず何よりも、かれら捕鯨船夫は広大無辺の海原にあくまでもハンターとして対峙しているということである。「すべて海の凄絶怪奇なものごとに、だれよりもはるかに直接にぶつかってゆくのは彼らであり、そ…

断ち切られない歌 後篇の中 11/14

ノーノの白鯨スタイル Carola Nielinger-Vakil会心の著書Luigi Nono. A Composer in Contextの分析 *1 を手引きとして、ノーノの白鯨スタイルのルーツを初期の「ガチガチの」セリー作品Composizione per orchestra n. 2: Diario polacco ’58 (1958) に辿って…

断ち切られない歌 後篇の中 12/14

ジョルダーノ・ブルーノの船 「つまり宇宙に存在する運動には、無限の宇宙から見るならば、上も、下も、あちらも、こちらも、区別ないのです。こういう区別は、そのなかにある有限の諸世界から見られたものであって、」 *1 ――無限そのものには左も右も高いも…

断ち切られない歌 後篇の中 13/14

Ascolta聞けとCaminantes進みゆくものよ ノーノは聞く人である、と一般には思われている。Prometeoの制作過程で本人の言によればsindrome antivisualistica *1 に罹ったノーノが、Emilio Vedovaの協力を得て模索していた視覚的演出のほとんどを「聞く悲劇」…

断ち切られない歌 後篇の中 14/14

航跡を引く 批評家から不本意にも点描主義者の称号を授けられているノーノが繰り出す、点を線に変換するための手練手管は枚挙に暇がない。 左右対称 点を線に変えるとは、島を船に変えることである。島と船を分かつもろもろの相違点は、「船/島は進みゆくも…

断ち切られない歌 後篇の上 1/9

こだま、海の歌(承前) 「こだま、海の歌」から「メルヴィル、船の歌」へ向けて、海にお船を浮かべるための準備作業。それゆえに、 砂漠はサクッと通り過ぎてしまいたい ノーノがエドモン・ジャベスの砂漠へと誘われた経緯は、例によってカッチャーリ→ノー…

断ち切られない歌 後篇の上 2/9

ヴェネツィアの石(承前) 「石を聞く」、その言葉の意味を探るために。1988年のサン・マルコ寺院前の談話のなかで、ノーノが「架空のスピーカー」と言っていたことを思い出そう。80年代のノーノが没頭していたライヴ・エレクトロニクスは、ヴェネツィアの空…

断ち切られない歌 後篇の上 3/9

水浸しの島 港は青い時の終りではない 阿部良雄『夢の展開(沖積舎)』、33頁 無辺のものを産みだすためになにものかの辺が必要とされるという反射の逆説を、ノーノはラグーナに浮かぶ小舟の上で漏らした最後のひとことでさりげなく乗り越えようとしていたの…

断ち切られない歌 後篇の上 4/9

メドゥーサの族 「音の海」とか「音の島」とか言ってるけれど、音というものはそもそも固体か液体かそれとも気体なんですかと問われれば、音は狭義には空気中を、広義には気体だったり液体だったり固体だったりするさまざまな媒体を伝播していく弾性波である…

断ち切られない歌 後篇の上 5/9

ゴーン 人間のメドゥーサっぽいところが視覚だけではなく聴覚にも及んでいることを確認するために、頭のなかで鐘の音を鳴らしてみる。 ゴーン ゴーン ゴーン キーン コーン カーン これは和風の鐘の音。英語圏だと多少表記が変わってDing Dong...になる。ド…

断ち切られない歌 後篇の上 6/9

ノーノが一度だけ来日した折(1987年)に一度だけひらかれた講演(12月1日)の内容は、これまでに何度も引用したことがある。その講演は、水声社から出ている『現代音楽のポリティックス』という本に収められている。ノーノを含めた5人の作曲家(クリスチ…

断ち切られない歌 後篇の上 7/9

近藤譲の音 近藤譲が語る音の手触りは、それはもうとにかく固い。なにしろ「ひとつの音」のさらに上をいく「一個の音」なる恐るべき表現が出てくるのだから。 そこいらに転がっている石ころ一つもきれいですし、音一個も美しいですし、 *1 * 聴くのは旋律の…

断ち切られない歌 後篇の上 8/9

FUKAKAIな音楽 「浜辺で石をみつけようとするように、音をみつけている」、あるいは「浜辺で散歩しながら貝を集めるように音を集めた」とケージが言っているのを聞いて、言葉尻をとらえるようではあるが、「ああやはり」と私は思う。やはりケージのイメージ…

断ち切られない歌 後篇の上 9/9

ノーノの音 ノーノの講演 *1 の前半部は以前の記事で紹介した。その内容は、ノーノが黒板に描いた三段階の図で要約される。これは直接的にはフランドル楽派の作曲技法を模式図にしたものであるが、ノーノ本人の作曲法のエッセンスを示した図だと受けとってか…

断ち切られない歌 中篇の下 1/16

こだま、海の歌(承前) まえおき さて、この先の航海は、一個の音楽作品を取り巻く外側の世界を意識することで その存在が仄めかされてくるより広大な海原へと舵を取り進められていくことになる。 すなわち、「音楽のなかにひろがる海」から、「個々の作品…

断ち切られない歌 中篇の下 2/16

第2日 1956年 Il canto sospesoの海 第2楽章のアカペラ合唱の歌詞のなかの、 (Per) esso sono morti millioni di uomini それ(のために)何百万人もの人が死んだ ※原文のPerは歌では省略されている という一節を、構成要素の母音に注目して吟味すると、中…

断ち切られない歌 中篇の下 3/16

遠足からの帰宅後 改めて新旧の海のレシピを見比べてみよう。 A 1950年代 前提:あらゆる言葉には水分(=母音)が潜在している。単語(a word)の解体による水(母音)の抽出。取り出した水を、五線譜上で音符をつかって平らに引き伸ばし、海の似姿をつく…

断ち切られない歌 中篇の下 4/16

プロメテオのさいはて、つづき senza fine Tristanに関するノーノの主な発言は二種類の文献にまたがっている。ひとつは先ほどマーラーのところでも出てきたカッチャーリとの対談で、もう一つは例の自伝的インタビューである。 Enzo Restagnoによる自伝的イン…

断ち切られない歌 中篇の下 5/16

穴、つづき 知覚的補完は視覚だけでなく聴覚においても生じる現象で、その代表例が連続聴効果(continuity illusion)と呼ばれるものである。百見は一聞にしかずで、アレコレ説明するより実際に聞いてみたほうがはやい。 http://www.kecl.ntt.co.jp/Illusion…

断ち切られない歌 中篇の下 6/16

海の時間のまま 時の流速を有耶無耶にさせるフェルマータをこれだけ大量に挿入しておきながら、一方でノーノはずいぶん細かくメトロノーム記号を書き込んでもいるものなんだなと感心しつつ、1976年の... sofferte onde serene ... から1989年のHay que camin…

断ち切られない歌 中篇の下 7/16

海の時間のまま、つづき 後期第3期:Dopo Prometeo A Carlo Scarpa, architetto, ai suoi infiniti possibili (1984) Omaggio a György Kurtág (1983/86) A Pierre. Dell'azzurro silenzio, inquietum (1985) Risonanze erranti. Liederzyklus a Massimo Ca…