アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

Risonanze erranti Texts 概略

アルト独唱、ピッコロ(持ち替えのバスフルート)、チューバ、打楽器(ボンゴ・クロタル・サルデーニャの羊の鈴)、ライヴ・エレクトロニクスによるRisonanze erranti. Liederzyklus a Massimo Cacciari(1986年3月15日初演、1987年10月8日決定版初演)のためのテキストは、Herman Melvilleの詩集Battle-Pieces and Aspects of the Warから

  • Misgivings (1860)
  • The Conflict of Convictions (1860-1861)
  • Apathy and Enthusiasm (1860-1861)

おなじく遺稿から

  • Pontoosuce (The lake)

Ingeborg Bachmannの最後期の詩

  • Keine Delikatessen (1963)

以上5つの詩の断片に、中世~ルネサンスフランドル楽派およびアルス・ノヴァの世俗歌曲の歌詞の断片が「谺」として加わったものである。

 

Stefan Dreesの分析 *1 によると、Risonanze erranti作曲の最初の段階で作られた127小節の単声部のスケッチは、その全体が、3つの世俗歌曲、

  • Guillaume de Machaut (c. 1300-1377)のLay de Plour
  • Johannes Ockeghem (c.1410-1497)のMalheur me bat
  • Josquin Desprez (c.1450-1521)のAdieu mes amours

の旋律断片で構成されている。つまりRisonanze errantiの音楽は、既存のシャンソンの旋律が姿を変えて生まれたものである。

 

作曲の過程で原スケッチに対し、音符の一部を休符に置き換える、器楽パートを追加する、その他さまざまな変換操作が施されることによりオリジナルの歌はほとんど原形をとどめないまでに変貌を遂げ、完成した音楽で原曲の旋律を一聴して聞き取れるのは、Adieu mes amoursのsol-sib-la-sol-reくらいである。これに呼応してシャンソンの歌詞も、具体的な叙述をかたちづくる語はほとんど消えて、

  • ah u ahimé uh eh

といった吐息、嘆息と、音的、意味的に吐息や嘆息の派生形というべき限られた言葉

  • adieu amours pleure malheur

のみが残存している。

 

これらの歌詞の残滓は「谺」と呼ばれ、メルヴィルやバッハマンの言葉とは異なる音の性質を帯びている。すなわち、中間部を除いて *2 その多くにリバーブがかけられ、輪郭のぼやけた音像を示す。また、ハラフォンによる処理はシャンソンの歌詞断片に限定して適用され、*3 あたかもメルヴィルやバッハマンの言葉より軽い素材でできているかのように空間を流動する(ハラフォンとは、後期ノーノのライヴ・エレクトロニクス作品で使われる、音を空間内でいろいろに動かすことのできる機器)。

 

シャンソンの谺は、「既往の創造を絶えず分散し、霧散せしめている大海原」 *4 に溶解した言葉である。それは「移ろいやすい」が「年表のそとにたつ」 。*5 吐息にまで解体されて個体性を失ったがゆえに、その谺はパーセルDido and AeneasのDidoのラメント、*6 南北戦争の戦場にひろがるうめき声、あるいは晩年のバッハマンの絶望の声とも、時空を超えて共鳴するのである。

 

流体化した古いシャンソンの歌詞に換わって、作品世界の骨格を成すのは、南北戦争開戦前夜を語るメルヴィルの言葉である。南北戦争を主題とする詩集Battle-Piecesより、巻頭の序詩The Portent (1859) に続く3篇の詩、

  • Misgivings (1860年、晩秋)
  • The Conflict of Convictions (1860年、初冬~)
  • Apathy and Enthusiasm (I 1861年の冬の終わりまで II 1861年春~開戦まで)

から引かれた言葉が、Risonanze errantiのテキストを構成する。

 

母音の卓越するシャンソンの谺とは対照的に、Battle-Piecesからの引用語群では、

阻害音の結合したstや、

tempest bursting waste fairest storming starry cloistered past stones strong against frost

破裂音pのような、

tempest hope sweep deep past pain purpose despairing

「子音のかたい甲皮」*7 をまとった語が優勢を占める。

 

3篇の詩の時間的配列は音楽の中でも保たれている。Apathy and Enthusiasmは2部構成だが、ノーノはこのうち前半部(冬の終わりまで)から言葉を選んでいる。したがって、1860年の晩秋から翌年の冬の終わりにかけての、戦争の予兆を孕んだ季節の巡りが、Risonanze errantiの、船でいえば竜骨にあたる時間軸ということになる。

 

il "WINTERREISE" di F. Schubert, p - fff - ppp - f - ppppppp - fffff nel mio cuore *8

 

冬の旅。後期の諸作品のなかでも最も音が疎らなRisonanze errantiには「音の群島」という比喩がいっけんよく当てはまる。多島海の旅?だが他の作品と異なりこれらの島々は、弦や管の形成する多孔質の渚を欠いている。かわってRisonanze errantiの管楽器は、Ustvolskayaを連想させるような「取りつく島もない」硬質な響きの面を、結界のごとく随所に張り巡らせている。上陸不能の島。内側への浸透を阻むその島肌は、船がその上を移動するほか途がない *9 海面にむしろ近い。きれぎれの海面の数々を渉っていくここでの旅は、モービィ・ディックが姿を現す瞬間を洋上で待ち続ける、あの「果しない滑走」 *10 のような外洋の航海に似ている。

 

時の脊椎につなぎとめられたBattle Piecesの言葉の断片は、中間部において、少数の単語が規則的に繰り返される、椎骨に似た反復構造を形成している。註の *2 で述べたシャンソンの谺の変質も、この構造の内部で生じる。ここに顕れているのは、『白鯨』の大半を占める、猶予された時――「船が捉えうる限りの」「海に関する細部片と意味片との延延たる集積作業」 *11 が日々繰り返される、外洋のstereotypeな時間――の相貌である。

 

3 bongos - 3 campane di pastori sardi - crotali: violenti - dolcissimi segnali di... per... *12

その冬の「ominous silence不吉な沈黙」には、メルヴィルがMisgivingsで

The hemlock shakes in the rafter, the oak in the driving keel.

簗では栂が、疾駆する竜骨では樫が、きしみ揺れている

と書いたような、打楽器の発する小さな予兆のごときものが散在している。「おずおずと天をのぞく」四分儀を捨て去った船に進むべき針路を教えてくれるのは、これらの小さなシグナルの数々だろう。

 

メルヴィルは『白鯨』の三十六章で、予兆とは「外部からのささやきであるというよりは、内部において未来に流れつつあるものの証なのであろう」と書いている。この思想は『ピエール』でより直截に語られる。「ぼくらがある不思議な事件に出遭う。するとその驚異の効果が外からぼくらの内なるところで起こるのは、ぼくらの内なるところに、それに対応する驚異感があって出迎えにでるからだとしかいいようがないではないか。星の煌めく蒼穹を仰ぐ人間の心に無限の恍惚と驚異が負荷されてくるのだって、その理由はひとつしかない。われら人間自身が宇宙空間に存在する星よりも大きな奇蹟、遥かに卓越した記念碑だからなんだ」。シグナルは、上なる蒼穹と共鳴する内なる蒼穹を照射する。羊の鈴の音はときにははるか遠くから(楽譜上でのLONTANISSIMEという指示)、ときには内奥から(楽譜上での「心臓の鼓動のように」という指示) *13 聞こえてくる。

 

Pontoosuceの孔。Battle-Piecesの季節の流れには一箇所亀裂が開いており、そこにメルヴィルの別の詩の言葉―But look...hark!―が置かれている。メルヴィルの遺稿Pontoosuce (The lake)は、秋の湖畔の瞑想をうたった詩で、But look...hark!は、この詩のちょうど中間にあって、前半のAll dies――死の澱みから、後半のAll revolves――生と死の循環の流れへと舵を切る言葉である。

 

『白鯨』の八十七章では、狂奔する鯨の大群の中心部に「静かな谷間の湖」のように静謐な海域が一時的に形成される。奥行きの開示を拒んでいた海が、そこでだけは「いちじるしく深いところまで、おどろくほど透明」に透き通り、海中を遊弋する鯨の姿を垣間見させてくれる。Pontoosuceの孔は、これとよく似た特異点である。ここには遠方より流れ込んでくるものがある。別の年の秋から差し込む一筋の光。そして、butの直前のwaitsも含めた四語は、カッチャーリとともに創った『プロメテオ』を核とする作品群のエキスを含む深層水の湧昇でもある。

  • waits:時機の到来を待つ時間 *14
  • but:一様な継続に突然の亀裂が入る「しかし」の瞬間 *15
  • look/hark:Das atmende KlarseinのSIEHE/ascolta

管のつくる硬質な響きの面が、But look...hark!のところではピッコロと持ち替えのバスフルートによる、呼吸を孕んだ多孔性の響きに変容し、Das atmende Klarseinの最初のフルート独奏部で何度か聴かれるハーモニクスもその中に一瞬出現する。

 

バッハマンとノーノは1950年代を中心に何度か交流があり、ヴェネツィアのノーノ夫妻の家をバッハマンが訪ねたこともある。*16 バッハマンは、死の十年ほど前に作風の大きな転機を迎え、詩作から散文へ転身した。生前に公表された最後の詩の一つであるKeine Delikatessenは、彼女がこのあと散文の分野で活発な創作を続けたことを踏まえれば、修辞を凝らした詩的文体と訣別し、新たな言葉へ踏み出そうとする心境を吐露した詩として読んだほうがよいのかもしれない。しかしノーノがこの詩に感じ取っているのは、「彼女の生の最後の時の、絶望の声」のようだ。

 

sento ancora la sua voce disperata dell'ultimo frammento della sua vita *17

 

Risonanze errantiの当初の構想では、メルヴィルとバッハマンの言葉が交互に現れる構成が考えられていたようだが、*18 完成した作品ではバッハマンの言葉は後半に偏っている。*19『白鯨』でモービィ・ディックが最後の最後に浮上してくるように、バッハマンの言葉もRisonanze errantiの終結部、ultimo frammentoを占めている。

 

メルヴィルのApathy and Enthusiasmの前後半を分断する So the winter died despairing, という断層は、メルヴィルからの最後の引用であるdeathと、これに続くバッハマンのVerzweiflungの組み合わせによって、Risonanze errantiでも再現されているようにみえる。したがって、メルヴィルからバッハマンへと言葉が引き継がれたRisonanze errantiの終結部は、それまでBattle-Piecesの言葉をたよりに辿ってきた戦争勃発直前の季節の流れの、その先の時間にあたるのかもしれない。

 

メルヴィルのみた1861年の春は、冬のあいだじゅう潜伏していた戦争への欲望がついに顕在化したときであった。So the winter died despairing, 絶望のうちに冬が死ぬ、そして訪れた春――「鋤たちが暗闇を掘り起こす」。 *20 「雨の そして最後には光の言いなりになって」、 *21 地上に伸び育ってきたのは、戦争の芽であった。春の暖気のなかで、奇妙な高揚にとらえられたアメリカの若者たちが、戦いの渦に呑みこまれていく。

 

一方、詩を捨てたバッハマンが最後に散文で描こうとしていたのは、「目に見えない日常の中の戦争/戦争の恒常化(Alltagskrieg)」であったという。

バッハマンはフリッシュとの一件を通して、戦争が終わっても目に見えないところで依然として続いている殺戮状態に気づいたのであった。しかもその殺人の手口はますます巧妙化し、社会のなかで合法と認められていることや、風俗・慣習を通じて行われているのだと。戦時中のように直接血を流すことは少なくなっても、残虐さを知的衣に包んだわれわれの精神に対する破壊が、日ごとわれわれを「様々なやり方」で殺害しているのだと。そして一九六六年ころまでには、この目に見えない日常のなかの戦争/戦争の恒常化(Alltagskrieg)を描くことで時代の趨勢を示したい、という『様々な死に方』構想が固まってきたと思われる。 *22

*1:Stefan Drees (1999). Die Integration des Historischen in Luigi Nonos Komponieren. In: Thomas Schäfer (ed.) Luigi Nono - Aufbruch in Grenzbereiche. Saarbrücken: Pfau.

*2:シャンソンの谺は、中間部で一時的にその性格を変える。そのはじまりは、最初のPleureの深い谺のあとの、投げやりな調子で発せられるAh...から。中間部では、海の中を泳いでいたシャンソンの谺が釣り上げられ、船上に引き揚げられている。そのためシャンソンの歌詞は、輪郭を曖昧にするリバーブをまとうこともないし、ライヴ・エレクトロニクスにより空間を回遊することもない。この状態は、メルヴィルの詩から引かれたpastという言葉が高速で連呼され、そのまま一足飛びにマショーのAh、ahiméへとスライドしていく箇所まで続く。

*3:Reinhold Schinwald (2008). Analytische Studien zum späten Schaffen Luigi Nonos anhand Risonanze erranti. [pdf]

*4:ハーマン・メルヴィル『ピエール』、坂下昇訳、国書刊行会、1981年

*5:エルンスト・ユンガー「母音頌」、『言葉の秘密』、菅谷規矩雄訳、法政大学出版局、1968年

*6:Risonanze errantiのスコアの複数箇所に、Dido and Aeneasについてふれた書き込みがある。ノーノはリハーサルの際、歌手のSusanne Ottoに、Didoのラメント・『椿姫』でヴィオレッタが最後に歌う<<Ah! io ritorno a vivere! Oh Gioia!>>・『トリスタンとイゾルデ』のLiebestod(愛の死)・ジェズアルドのマドリガーレ集第4巻よりEcco, moriro dunqueの一節<<O, che morte gradita>>――いずれも死にゆく人の歌である――を想起するようにと語っていたという(出典 )。

*7:ユンガーは生物学者らしく、母音を原形質/肉、子音を骨格/甲皮とみなしてこう言う。「原形質は海の写し絵をあらわす」。語においては「母音が子音によって取り囲まれ」、「子音によっては描線が与えられる」。これらから、各々の単語は、無辺際な母音の海の数滴を子音の膜/皮で囲い込んで生命を得た、小型の浮遊生物のような姿で思い描くことができる。たとえばRisonanze errantiの中間部で繰り返されるpastという語は、唯一の母音aをp-stの堅固な子音の甲羅で被った、オキナガレガニ(外洋を漂流するカニ)のような身体をもつ言葉である。これに比べイタリア語のpassatoは、オウムガイのように殻から軟体がはみ出している。pastを高速で連呼すると、強勢の置かれている母音aも弱化を免れない。pastは脱水され、船の甲板で乾涸びていく蟹のように、より乾いた言葉へと変質する。death――ひとつの語が死ねば、母音を包む膜も徐々に崩壊する。thには既に膜の破れが生じている。原形質は谺となって母音の大洋へ再び溶け込んでいく。death → detah  → d teh a → d t he a  → e a

*8:Risonanze errantiについてのLuigi Nonoのノートより [link]

*9:岩成達也「モゥビ・ディクの短い見取図」、『ユリイカ 第九巻第四号』、青土社、1977年

*10:同上

*11:同上

*12:Risonanze errantiについてのLuigi Nonoのノートより。

*13:Nathalie Ruget. ≪Je, tu, nous, vous≫, Luigi Nono et Ingeborg Bachmann : pensée, guerre et écriture. [pdf]

*14:プロメテオ』の第四島では「船を出す季節の来るまでじっと待て」というヘシオドスの言葉が聞かれる。「待つ」という言葉はカッチャーリの著作にしばしば現れるキーワードの一つ。弓道における志向なき待望を論じた箇所ではこんな風に書かれている。「弓道の修練は、注意を「他のもの」に、すなわち、的に向けるためにあるのではなく…その正反対に、あらゆる志向から解放された状態に達するため、建設―志向する<自我>を空虚にするためにある。…待つことは、志向的に待つことと解してはならず、あらゆる探求の単なる欠如とさえ解してはならず、まったき現在と解しなければならない。すなわち、…現在において、瞬間において生きながら、照明を待つのである」。待つ時間は所有していないものと関わるときに生じる。本に書かれた鯨の知識は、ただ書棚から本を取り出すだけですぐに得られるが、生きた鯨を仕留めようとするなら、洋上で時機を待たなくてはならない。沈黙についてのノーノの発言――「何だかはまだわからないが、何かが響いて来るのを待つ」。Schinwaldの論文に転載されているRisonanze errantiのスコアの抜粋を見ると、楽譜のコンマ記号にASPETTAと付記されている。

*15:マッシモ・カッチャーリ『必要なる天使』、柱本元彦訳、人文書院、2002年、77頁

*16:Nathalie Ruget. ≪Je, tu, nous, vous≫, Luigi Nono et Ingeborg Bachmann : pensée, guerre et écriture.

*17:Risonanze errantiについてのLuigi Nonoのノートより。

*18:Reinhold Schinwald (2008).

*19:バッハマンの最初のエピソードが現れるのは51-59小節。2番めのエピソードは139-160小節と比較的長いが、これは器楽による表現で、直接言葉が歌われることはない。3番めは280-287小節。そして332小節からは、バッハマンの言葉があたかもコーダのように、あいだにマショーとオケゲムの谺を挟みつつ、最終379小節に到るまで、5分前後にわたって歌われる。

*20:インゲボルク・バッハマン「三月の星たち」、中村朝子訳『インゲボルク・バッハマン全詩集』、青土社、2011年

*21:同上

*22:大羅志保子「訳者あとがき」、インゲボルク・バッハマン『ジムルターン』、鳥影社、2004年