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アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの後篇の前篇 3/5

1112c 別の海

オルペウス教の精髄は、Prometeoのリブレットのなかでは、Isola seconda b) Hölderlinを締めくくるfratelli infelici「不幸せなきょうだい」という言葉に集約されている。(天上の幸福な神々に比べて、労苦を抱え地上をさまよう人間はいかにも卑小な存在だが、それでもわれわれは神々のきょうだいである)注目すべきなのは、リブレットの別の箇所で、純粋性の次元が海の形象となって、さらに普遍的な相のもとに立ち現れてくるということである。カッチャーリ/ノーノの海といえば多島海だというのが決まり文句になっているが、じつはもう一つ別の海があるのだ。Prometeoのリブレットのうち、Il maestro del giocoと題された詩は、ヴァルター・ベンヤミンの『歴史の概念について(歴史哲学テーゼ)』をもとに構成されている。だがこの詩のなかには、一部ベンヤミン以外の著者からの引用も含まれている。第十連の終わりの二行もその例である。

far del silenzio CRISTALLO
colmo di eventi

*

making CRYSTAL from the silence
full of events

この行にはベンヤミンの第XVIIテーゼとの共鳴も認められるものの、直接的な出典は、ローベルト・ムージルの『特性のない男』第三部のなかでウルリヒが妹アガーテに千年王国の愛の海のヴィジョンを語ったときの、次の台詞である。

小川のようにある目標へ向って流れて行くのではなくて、海のように、ある状態を形作っている愛のことを、これまでいろいろと話しあったことがあるね!

 

一寸考えてごらん。この海は動きもなく、永久に続く結晶のように純粋な出来事だけで満ちている閑寂境なのだ。昔の人々はそのような生活を、この地上に思い描こうとした。それがぼくたちによって形造られた千年王国なのだ。だが、そんな国はぼくたちの知っている国のなかにはない。ぼくたちはこれからそういう生活をするという訳だ。 *1

 

カッチャーリの『シュタインホーフから』のなかでもたびたび引用されているこの海の記述から連想されるのは、多島海とはだいぶ異なるイメージ、ムージルが別のところで書いているような、「岸辺のない海のように茫漠とした状態」 *2 である。その海が外洋であるのなら、多島海を抜け遥か沖合いにまで航海に出ればいつかそこに辿り着けるのか、というとそうではなくて、この海はまったく逆の方角にひらけている。そこへと到るには、アガーテの言によると、「頭、心、肢体がすべてひとつの沈黙となるまで、自分自身のうちに集中」 *3 することが、またカッチャーリによれば、「内向きの放下、すなわち自己自身のうちに空虚をうがつこと」 *4 が必要なのである。その海が内なる海であるということは、プライベートビーチのようなものなのか、と思うとやはりそうではなくて、そこでは獲得し所有する自我が空っぽになり、所有の問題そのものが消滅する。「こうしてぼくたちの五官は開かれて行き、人間に対しても獣に対してもわだかまりがなくなり、ぼくたちはぼくたちであり続けることはできない、世界全体の中に組みこまれてこそ生きて行けるということを悟るようになるのだ」 *5 とウルリヒは言い、「このようにして至高の無我の境に達した時、外面と内面とはついに手を取りあう、あたかも、世界をわかっていたくさびがひとつ、抜け落ちたかのように」 *6 とアガーテは語っている。さしあたり私の内なるところにみいだされるがじつのところ底なしで、私の体を限りなくはみだし、世界を遍く蔽い尽くしているらしいこの不可思議な海は、生の通常の状態とは別の次元を満たしている広大無辺の大洋なのだ。

 

人間の精神状態には、「人類の全歴史にわたって、ある二分法が貫き通っているように思われる」、 *7 そうムージルは言っている。人間の精神の「通常の状態」には、「地上では、途方もなく恐ろしいものどもの狭間にあって、無にも等しい」 *8 人間が生き残るために身につけた「鋭利で悪い基本的特性」 *9 の束がすっかり浸みこんでいる。たとえば計算すること、測定すること、検証すること、区分すること、つかみかかること、疑い深さ、狡知、能動性、好戦性といったもの。カッチャーリの文中の言葉を用いれば、それは、生産し、獲得し、所有し、操作し、根拠を求め、価値に基づいて判断し、語ることに還元し、本質を志向し、論証し、発展し、解決する「典型的に建設的な理性」である。

 

だが人間の精神には、通常の状態と並んでもう一つ別の世界がある。それがムージルのいう「別の状態」である。それは、「愛の状態」、あるいは「善の、遁世の、瞑想の、観照の、神への接近の、恍惚の、無我の、内省の状態などと、ある基本的体験のさまざまな側面の名前で呼ばれてきた」。 *10 今ここで純粋性の次元と名づけていたものも、おそらくその一種である。「この基本的体験はあらゆる歴史上の諸民族の宗教や神秘説や倫理に同じように一致して繰り返し現れ」 *11 てきた。オルペウス教は、その系譜の最古層を占めているもののひとつとみなされよう。「そこには尺度も正確さもなく、目的も原因もなく」、 *12 決断もなければ欲もなく、行動もない。「これらすべての関係の代りに立ち現れるのは、[……] われわれの存在が事物の、そして他の人びとの存在と溶け合うこと」 *13 である。ノーノの書いたものや講演記録を読むと、altro=「別の」という語がじつにしばしば現れるのだが、それはこのムージルの用語に由来するものなのかもしれない。

 

別の状態への、なんというか、「正規のアクセス」は、既にみたとおり、自己のうちに空虚をうがつ内向きの冒険によって成されるのだが、いっぽうでムージルは別の状態について、「われわれの通常の生活のおびただしい細部に、この状態がその痕跡を残してい」 *14 るのだとも言っている。「似たようなことがおこる」平凡な日常の只中に別の状態がひそんでいる在り様をムージルはさまざまな表現を駆使して幾通りにも描出している。たとえば、「この真髄は、悪の堅固な繊維群の間隙に潜在している」 *15「それを映す鏡は散りぢりに砕けて日常性の中に隠見している」 *16「通常の世界の波立ち騒ぐ海水の引いたあとの固い海底のように(もう一つの世界がある)」 *17 といった具合に。その数あるバリエーションのひとつに「透けて見える」という言い回しがある。

世界はそのあるがままの形において、ありえたかもしれぬ、あるいはそうならねばならなかったもうひとつの世界を、到る所で透かして見せている *18

*

(一定の感情)…その中に必ず未定の感情の特色が透けて見える  *19

日常の世界が思いのほか薄い層からなるものであるかのような、この「透けて見える」という表現は、複雑に入り組んでざらざらしたテクスチュアの卓越にも拘わらず、それでいてどこか透明性を湛えているノーノの音楽のためにも使いたくなる言葉だ。

 

純粋なるものは、Das atmende Klarseinのように細部性の次元と明瞭に分離した状態で現れるときは、ざらざらでこぼこした地上を覆う一面の空のような拡がりとして感じられることもある。だがそのDas atmende Klarseinにしても、バスフルート独奏部に何度か現れる柔らかなハーモニクスのことを、Fabbricianiは「合唱の記憶」と呼んでいるのである。 *20 合唱を充たしている透明性が、時にはフルートのざわめきの層のなかにも透けてみえてくる。純粋性の次元あるいは別の状態は、そのようにして、ざらざらした多様な音の断片群の背後に、まさに透けてみえるようなかたちで時折閃いている――ノーノの音楽は、そんな形容をするのにふさわしい瞬間をたしかに少なからず持っている。

 

PrometeoのInterludio primoのことを、ノーノ自身はそこを通して「新しいプロメテウス」を垣間見ることのできる針の眼だと言っている。 *21 じじつInterludio primoは、部分音の多彩なざわめきが謐まるとともに、 「通常の世界の波立ち騒ぐ海水の引いたあとの固い海底のように」基音(純音)の層が透けて見えるようになった覗き穴である。しかし、千年王国は海であるというウルリヒの言葉にしたがうなら、通常の世界のうねり泡立つ海面を透かして見えてくるのは、「固い海底」ではなく、「一種の冷たい灼熱のなかでその色彩を失」 *22 った、別の渺渺たる海原の相貌だと言うべきだろう。

 

ムージルからの引用を含むIl maestro del gioco第十連が歌われるのは Tre voci bにおいてである。Prometeoのリブレットのうち音楽化されているのは一部の語句のみだが、ムージルの引用に関しては、far del silenzio CRISTALLO colmo di eventiの全文が歌われている。このTre voci bというのは、5つの島を経巡るPrometeoの旅がTerza/Quarta/Quinta Isolaをもって終わりを迎えたあと、なお残された最後の3つの章――Prometeoのなかで「3」という数字は特別な数字である――のうち最初のもので、アカペラ合唱による声のみの章である。つづくInterludio secondoは低音楽器による器楽だけの章。声と器楽の分離。ここまではDas atmende Klarseinと同じ形であるが、Prometeoの場合は、最終章Stasimo secondoにおいて、Das atmende Klarseinではおこらなかったこと、すなわち、声と器楽が重なり合って同じ音を奏でるというできごとが顕現する。二つの異質なものが重なり合っている状態こそが、Prometeoの最終的な形態になるわけである。

 

Prometeo全篇の要とされるInterludio primoのあとに続くTre voci aは、まさに比類のない重なり合いの出現する場でもある。Tre voci aには三つの音の層がある。一つは声と、Prometeo唯一の打楽器であるグラス、間歇的に回帰してくるバスフルート+コントラバスクラリネットの層。残る二つはいずれも持続音である。低音部ではライヴ・エレクトロニクスによって徐々に増幅されていくユーフォニアムが波のようにうねり、高音部には、フラウタンドにより演奏される弦の最高音域の ppppp の持続音が張り巡らされている。後者のこのキーンという持続音は、おそらくノーノが深く愛していたマーラーの『交響曲第1番』冒頭の弦のフラジオレットへのオマージュでもある。

 

ものみなが静止するInterludio primoを潮止まりの時間とすれば、la misura del tempo si colmaという詩句に向けて動いていくTre voci aは満ち潮の時間である。とめどなくせりあがるユーフォニアムの海面。その嵩増す海の遥か上には、声、グラス、フルート、クラリネットの中間層を挟んで、弦の蒼穹が張られている。Tre voci aを聞いて自然にたちあがってくるのはだいたいこんな構図だろう。空と結びつくもろもろのイメージをTre voci aの弦が孕んでいるのはたしかである。空そのものの発する音のようにも聞こえるし、『黒つぐみ』のなかでムージルが書いた、戦場の空の奥処から響いてくる飛箭の音のようでもある。「コップのへりを鳴らす時のような、かぼそく歌うような、単純な高音だった。しかしそこには一種の非現実性がまつわりついていた」。 *23 しかしこの弦はとても小さな音なので、ユーフォニアムの層が厚みを増すとほとんどその中に埋没して消えいらんばかりになり、それでも耳を澄ますとかろうじて幻聴のように持続している音なのである。海に埋もれる空というのもなにか奇妙ではないか。これは本当に空なのだろうか。

 

この弦が喚び起こす別の記憶があって、それは海に通じている。Interludio primoの静的な小宇宙は、タイドプールのようだ。真夏の太陽に熱せられ風呂のようになったタイドプール。無心に藻を食んでいるカエルウオ、岩陰で揺れるイソスジエビの触角、水面近くをチラチラするギンユゴイの群れ、海藻を離れゆるやかに上昇していく気泡、といった若干の動くものたちを包み込む静止した水塊。岩の胎内の羊水の微睡みは、いつしかまた満ちてきた海が運んでくる外洋の冷たい水によって打ち破られる。Tre voci aの弦のフラウタンドのエントリーが思い出させてくれるのは、お湯のようなタイドプールにスッと差し込んでくる、あの水の冷たさの記憶である。海の思い出にその音が接がれたとき、ステレオグラム立体視が解かれて平面に戻るときのように、弦の空は地上に降りてきてユーフォニアムの海と重なりあう。弦の持続音の層は、ユーフォニアムのどよもす海の向こうに透かしだされる、冷たく果てない別の大海原へと転ずるのだ。

*1:ローベルト・ムージル『特性のない男 4(新潮社版)』より「遺言状」

*2:同上、「コニアトヴスキーの、ダニエリの人間堕落の命題に対する批判について。人間の堕落から妹の感情の謎まで」

*3:ムージル『特性のない男 5』より「夏の日の息吹き」。この訳は*4に拠る。

*4:マッシモ・カッチャーリ「奇妙で驚異的な出来事」、廣石正和訳、『批評空間』第II期19号

*5:ムージル『特性のない男 4(新潮社版)』より「遺言状」

*6:同上、「夏の日の息吹き(断章)」

*7:ムージル「新しい美学への端緒」、早坂七緒訳、『ムージル・エッセンス』、中央大学出版部

*8:同上

*9:同上

*10:同上

*11:同上

*12:同上

*13:同上

*14:同上

*15:同上

*16:ムージル『特性のない男 5(新潮社版)』より「庭の鉄格子の特命(草案)」

*17:ムージル「新しい美学への端緒」、早坂七緒訳、『ムージル・エッセンス』、中央大学出版部

*18:ムージル『特性のない男 5(新潮社版)』より「庭の鉄格子の特命(草案)」

*19:同上、「ウルリヒと二つの感情の世界」

*20:Das atmende Klarseinの楽譜(RICORDI 139378)のInstructional DVDより

*21:PrometeoのCD(EMI盤 7243 5 55209 2)のライナーノーツより

*22:ムージル『特性のない男 5(新潮社版)』より「現実と恍惚」

*23:ムージル『黒つぐみ』、川村二郎訳