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アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

Un unico suono 3/5

No hay caminos

ノーノ風ゲノミクス

Archivio Luigi Nonoが保管しているノーノのスケッチや創作メモをもとに、ノーノの作曲のプロセスを復元しようという試みがこれまでにいくつも行われている。それらを見ていて感じるのは、音やリズムの配列をつくり、それをいろいろに並び替えていく、遺伝子組み換えのような幾何学的操作が、後期作品の作曲においてもなお、重要な一角を担っているという点である。たとえばQuando stanno morendoのPARTE I-A, Bの場合であれば、まずはじめにフルートの特殊奏法の教科書に載っている重音表の和音の列を展開して一つの長いモノディがつくられ、それをいくつかの断片に切断し、またつなぎ合わせていくというやりかたで作業が進められていく *1 (ここでちょっとおもしろいのは、再配列の過程で時おり一部の音が欠失したり、高さが変化したりといったような、いっけん気まぐれにみえる、点突然変異様の現象が発生している点である)。リズムパターンの作成も、ノーノのスケッチのなかでは非常に大きな割合を占めている。打楽器アンサンブルのためのCon Luigi Dallapiccolaではじめて導入された、A veloceとB calmoという二つの基本的リズム列があり、前者は5小節、後者は8小節のリズムパターンがそれぞれ6セットずつ組になったものであるが(Christina Dollingerによる、Caminantes...Ayacuchoについての世界初のモノグラフのなかに詳しい解説がある) *2、これらの基本型に各種の操作を加えることで派生してきたリズムパターンが、すべてではないものの多くの後期作品に用いられている。各種の操作とは、具体的に言うと、たとえばB calmoの8小節からなるリズムパターンを並び替えて新しいリズムをつくる(例:2-6-7-3-1-5-8-4)だとか、3連符よりも細かい区切りのリズムを削除して休符に置き換えるだとかいったもの。 *3 Das atmende Klarseinの冒頭の合唱の作曲にあたっては、作成されたリズムパターンに対し、Quando stanno morendoでもつかわれたフルートの重音表から選ばれた和音をあとから割り当てていくという方法が採られている。

 

ただし、ノーノのデスクワークによって産み出されたこれらの音のゲノムは、実際に演奏される音を直接既定するようなものからはまだ程遠い。André Richardはこう言っている――「彼の仕事は、この時点ではいくぶん機械的なものです。しかしこれは、言うなれば骨組みのレベルにあたるものです。ここから彼は、もっと複雑な音現象が聞こえるようにしていくのです」。 *4

 

Quando stanno morendoの再配列されたモノディは、このあと4つの女声へと割り振られ、個々の音に細かなニュアンスが付与され、さらにはライヴ・エレクトロニクスの音響処理機構の設計がなされていく。これ以降の仕事は、作曲家と演奏家、音響技術者がスタジオで実際に音を聞き、話し合いを重ねる共同作業の側面が強まることになる。

 

紙の上に書かれた楽譜はDNAの塩基配列のように静的だ、しかし、そこから発現される実際の音(表現型)はmobile、動的なものになると後期のノーノは言っている。「彼が求めていたものは、伝統的な原理に反する音の不安定性でした(A. Richard)」。 *5

 

RICORDIから出ているDas atmende Klarseinのスコアに付録でついているDVDには、Roberto Fabbricianiが作品の誕生当初からずっと使い続けてきた、ノーノによる細部の修正の履歴がそのまま残っているフルート独奏部の手稿が収められており、緑、黄、橙、青でカラフルに色分けされた楽譜のところどころに、暗色で上から塗り潰された音符が点在しているのがみてとれる。このようにしてDas atmende Klarseinの楽譜は、1981年5月の初演以降も、晩秋の森のように音符がしだいに抜け落ちていき、ある程度の可塑性を保ち続けていたのだという。だがそれも、作曲者が世を去り、楽譜が清書され印刷に回されてしまえば、それこそ印刷時の誤植でもないかぎり、もはや微小な突然変異すら起こらなくなる。このまったく固定的な鋳型から、いかにしてflexibleな表現型の発現を可能たらしめるか――そこにノーノのsuono mobileの命脈がかかっているのだ。

 

実例その1:Prometeo

Prometeoのなかで聞かれる印象的な音のひとつに、コントラバスクラリネットのソロイストが奏でる、文字にして書き表すとしたらプルルルルルッといった感じの、鯨かなにかの海獣の鳴き声のようにも聞こえる音がある。これは、バスフルートのあの風を孕んだ響きとともに、Prometeoの一つの軸をなす音響であるが、それにしても、EMI/RICORDI盤(演奏者:Wolfgang Stryi)とcol legno盤(岡静代)とで、聞こえる音の感じがずいぶんと異なっている、いったいあの音は、楽譜上ではどのように書き表されているのだろうかと以前から気になっていのだが、実際にみてみるとこんな具合であった。

 

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上に掲げた楽譜は、Prologoにおいてナレーターがプロメテウスの名をはじめて口にした直後、EMI盤であればCD1-track 1の7m49s-58s、col legno盤ではおなじく7m42s-50sごろの音に対応する記述である。相当複雑に揺れ動く音であるにもかかわらず、ここに細々とした音符などはいっさい書かれていない。だたそれに代わって、みてのとおり言葉による演奏法の説明が置かれている。なんて書いてあるのかちょっと読みづらいが、こう記されている。

SUONI ARMONICI AKUTISSIMI, MIKROMOBILI

MOLTA ANCIA SOPRA I DENTI INCISIVI ANDANDO

VERSO LA PUNTA DEL BOCCHINO

STRUMENTO TUTTO CHIUSO

この説明書きが示す演奏法は、ノーノがクラリネット奏者のCiro Scarponiとのセッションで、実際の音を聞いて試してみた実験の成果に基づくものであるから、ノーノの頭のなかではそれがどういう音になるかについて、はっきりとしたイメージがあったに違いない。だが、楽譜に書かれているこれだけの情報にしたがって個々の奏者が発する音には――現場では、楽譜上の「遺伝情報」に加えて、「ここはこういう風に演奏するんだよ」という、口承による情報も伝達されているのだろうが――、必然的にかなりの個体変異が生じることになるだろう。じっさい、EMI盤とcol legno盤のコントラバスクラリネットは、別の楽譜を見ながらやっているのかと思うほどに違って聞こえるけれども、これらはそれぞれが、同一の楽譜のありうべき解釈の一例を示しているのである。もちろんCDを聞いているだけでは、果たして楽譜の指示どおりの演奏がされているかどうかは知り得ないわけだが、ずっとノーノと仕事をしてきたAndré Richardのような人の立会いのもとで行われ、CD化までされている演奏であるからには、そういうことなのだろう。

 

ただ、これだけの可塑性が許容されるということになれば、ノーノ自身がCiro Scarponiのクラリネットで聞いていたのとはだいぶ趣の異なる音になることだって珍しくないはずである。それについてノーノはどう考えていたのだろうか。Hans Peter Hallerは次のように語っている。

私はノーノがいつもこう言うのを印象深く受け止めていました。「ことによったらそんな風に演奏してください、あるいはあんな風にでも」もしも本当に大きな逸脱が生じたときには、彼は助けてくれました。こうした逸脱が、もはや彼のいない今となっては生じてきます。ですが、前に言ったように、彼は完璧主義者ではありませんでした。奏者がドロップアウトしてしまったり間違いを犯したときでも、彼はただ笑っているだけでした。いや、彼は言っていました、間違いは、再三にわたって新たな着想をもたらしてくれるものでさえあるのであって、彼にとっても重要なものなのだと。 *6

※一応訳してみたがドイツ語は全然自信がないので原文を参照してくだされ

 

Hans Peter Hallerが最後にふれているエラーの意義を簡潔に表明したノーノの発言として多くの文献に引用されているのが、L'errore come necessità(必要なる錯誤)と題された、1983年のスピーチである。

 

ノーノにはよく「きびしい」という枕詞がつけられる。きびしいだけならまだいいのだが、きびしいのを通り越して、てんで融通のきかないカタブツであるかのような、こうと決めたルールを押し付けて、そこからの逸脱をいっさい許容しない人であるかのようなことを、まるで見てきたかのように言い立てる人がやたらと多い。あれはもはや、「しゃっくりを百回すると死ぬ」などといった根も葉もない噂と同レベルの、都市伝説の域である。suono mobileをモットーに掲げるようになってからのノーノはとにかくものごとを固定したくない、枠にはめたくないということばかりを言い続けているのであって、敢えて言うならば、固定的なものだけは断じてつくるまいという考えに凝り固まっているとでも言ったほうがふさわしいくらいだ。

 

実例その2:Quando stanno morendo

Quando stanno morendoのPARTE IIは、器楽(フルートとチェロ)の非常にダイナミックな音響の渦巻く章であるが、これも楽譜をみれば、拍子抜けするくらい単純である。

 

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こんな風景がただひたすら続いていくばかり。この楽章で使われているチェロは特殊な仕様になっていて、4本の弦が微分音に調律されており(たとえばF音、Fよりわずかに下、わずかに上、さらにわずか上)、チェリストは両手に弓をもち、4つの弦をすべて開放弦でガシガシとかき鳴らす。楽譜はそれぞれの弦ごとに書かれており、おのおのの弦については音符で書き表せるような安定したピッチの変化がないため、みてのとおり打楽器のような記譜法になっている。

 

ただしQuando stanno morendoのスコアには、本体とは別に、演奏法やライヴ・エレクトロニクスの詳細についてのかなり長い解説記事(11~12頁×伊英独の三ヶ国語)がついている。これは、スコアの情報だけをもとにして実際に演奏することも可能なように、楽譜上には表現しきれていない細部のニュアンスを、André RichardとMarco Mazzoliniが言葉で補ったものである。PARTE IIの器楽の演奏法についてもコメントがあって、どちらの楽器にも共通して使われているフレーズがconstant internal mobility(costante mobilità interna)だ。

 

・フルートに関しては、

The sound of the flute must be characterized by constant internal mobility, both in terms of dynamics and types of sound production. No sound is "held" in the traditional sense of the term......

・チェロについては、

The sound must be characterized by constant internal mobility in terms of dynamics, timbres, and ways of employing the bows. All uniformity of sound should be avoided, ......

 

コンスタントにmobileであるものを、それがどうmobileであるか、いちいち紙の上に図示することなどもはや不可能だ。そういうものだと定性的に説明するほかないわけである。constantにmobileであるべしという要請を、それでは具体的にどう実現するか――10人の奏者がいればそれこそ10とおりの答えがあるだろう。

 

なお、このPARTE IIは、ライヴ・エレクトロニクスが絶大な効果を発揮している章でもある。器楽に対しての音響処理は、1オクターブ下へのピッチシフトを施したうえで、2秒もしくは5秒のディレイ+フィードバックをかけ、会場の8つのスピーカーから再生するという比較的シンプルなものである。ただここで、エレクトロニクスへの入力、そこからの出力、フィードバックのレベルをon/offないしは増減させることによって、ダイナミックな音響の時間的変動が産み出されている。

 

*

私がとりわけ魅了されているノーノの後期作品の豊饒な細部は、だいたい上に挙げた2つの例のような様式で楽譜上に表現されている。細部に逐一対応するような、なにか非常に複雑な記述が書き込まれているわけではない。五線譜に書かれた音符は至極単純なものだ。ただその傍らに、あるいは別の箇所に、演奏法に関してのなにかしらの註釈が添えられてあり、必ずしも非常に具体的というわけではないその定性的な記述のうちに、直接には明示されないかたちで細部が宿っているのである。

*1:David Ogborn (2005). "When they are dying, men sing...": Nono's Diario Polacco n. 2. EMS: Electroacoustic Music Studies Network - Montréal 2005. [pdf]

*2:Christina Dollinger (2012). Unendlicher Raum - zeitloser Augenblick: Luigi Nono: >>Das atmende Klarsein<< und >>1° Caminantes...Ayacucho<<. Saarbrücken: Pfau, p. 140-147.

*3:Jimmie LeBlanc (2010). Luigi Nono et les chemins de l'écoute: entre espace qui sonne et espace du son: Une analyse de No hay caminos Hay que caminar...Tarkovskij, per 7 cori (1987). Paris: Harmattan, p. 77-83.

*4:Entretien avec André Richard. [pdf]

*5:Ibid.

*6:Ensemble Modern Newsletter Nr. 004 (09/2000) [link]

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