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アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

第一の脊索 1/1

I turcs tal Friúl

■ 『脊索』は、「後期の初期」に属する三作品をテーマとするが、その周りに別の肉もくっついた結果、5つのパートに肥大化を遂げた。

 

1 第一の脊索 I turcs tal Friúlは、Fondazione Archivio Luigi Nonoの作品リストでは... sofferte onde serene ...とCon Luigi Dallapiccolaのあいだに挟まっている。なんでもかんでもアップロードされることで有名なYouTubeにあがっているのを聴いてみた感想として、この作品はPHYLUM ULTIMO NONOに分類すべきだと思ったので、ここで取りあげることにした。

 

2 第二の脊索 ピアノ曲... sofferte onde serene ...について。だが実際には、... sofferte onde serene ...をダシにしての一般論が主流を占める。

 

3 ジュデッカ運河 前項の議論の流れを引き継ぎ、Omaggio a György Kurtágのライヴ・エレクトロニクスについて。

 

4 Un unico suono un unico suono=単一の音、であるはずのものから多様な細部をひきだしていくという、特に後期になってから顕著になってきたノーノのスタイルについて。一般的な議論が主だが、un unico suonoでできた音楽の代表例としてもっともよく知られるNo hay caminos, hay que caminar.....Andrej Tarkowskijのカテゴリーに含めることにした。

 

5 第三の脊索 そのスタイルの初期のあらわれであるCon Luigi Dallapiccolaについて。

 

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門をくぐる

1975 04.04 Al gran sole carico d'amore初演

1975 夏 カッチャーリとの対話からPrometeoの構想が芽生える

1976 サルデーニャ島滞在時(with カッチャーリ)にPrometeoの構想が具体化

1976 11.13 I turcs tal Friúl初演

1977 04.17 ... sofferte onde serene ...初演

1978 冬 Roberto Fabbricianiとの出会い

1979 11.04 Con Luigi Dallapiccola初演

1980 06.02 Fragmente - Stille, An Diotima初演

1980 11月 フライブルクのEXPERIMENTALSTUDIOを初訪問

1981 05.30 Das atmende Klarsein初演

 

1975年夏。Prometeoの端緒はそこまで遡ることができるとカッチャーリは語っているので、あのMagnum opusへとつうじる「舟路」は――avventura nostra...sul mare aperto al Prometeo (our adventure...on the open sea towards Prometeo) と、ノーノはGuai ai gelidi mostriについてのノートのなかで言っている *1 ――、中期の総決算的な大作Al gran sole carico d'amoreの初演からさほど日を置かずしてノーノの前にひらけていたことになる。ただ、1984年に初演を迎えるPrometeoに直結する作品が(つまりFragmenteとDas atmende Klarseinが)かたちを成すまでには、そこから5年近くの月日を費やす必要があった。この道のりの途上では、仮にFragmente/Das atmende Klarsein以降のノーノを脊椎動物とするならばナメクジウオやホヤ、サルパに相当するような、過渡的な体制を具えた作品がポツリ、ポツリと産み落とされている。それが、... sofferte onde serene ...やCon Luigi Dallapiccolaである。

 

  • 「まだ脊椎は発達していない」という原始性と
  • 「すでに脊索は形成されている」という新奇性の混在

 

まだない脊椎のほうについて先に軽くふれておこう。ノーノの後期を特徴づける弦の響きがFragmenteで最初に発現され、管がDas atmende Klarseinのバスフルート独奏に、そしてこれらの器楽とはどうも方向性が異なっているようにみえる声がDas atmende Klarseinのアカペラ合唱に現れるそのいっぽうで、Con Luigi Dallapiccolaは打楽器アンサンブルのための作品、... sofferte onde serene ...はピアノが鐘の音のように鳴り響く作品であるから、後期に特有の弦、管、声の派生形質を、この二作のうちに直接聞きとることはできない。逆に、Fragmente/Das atmende KlarseinからPrometeoに到るまでの、カッチャーリとの共同制作の期間は、ノーノのキャリアのなかでは珍しく、打楽器がいったんほぼ鳴り止んだ時期に相当する。この間の作品に使われている打楽器は、PrometeoのPrologo、Tre voci a、Interludio secondoで聞かれる「グラス」のみである。面白いことにPrometeo後になると、クロタル、ボンゴ、サルデーニャ島の牧用の鈴のざわめきが全篇に鏤められているRisonanze erranti (1986/87) を筆頭に、打楽器があたかも隔世遺伝のごとく再度復活してくる。

 

後期のライヴ・エレクトロニクス作品の制作拠点であったフライブルクのEXPERIMENTALSTUDIOをノーノが初めて訪問したのは1980年11月のことであり、EXPERIMENTALSTUDIOの技術を用いた最初のライヴ・エレクトロニクス作品は、それから約半年後に初演されたDas atmende Klarseinである。Con Luigi Dallapiccolaと... sofferte onde serene ...のライヴ・エレクトロニクスはDas atmende Klarsein以降に比べるとずっと原始的なもので、... sofferte onde serene ...に関しては、果たしてそれをライヴ・エレクトロニクスと呼んでよいかどうかすらも微妙なところだ。

 

いっぽうで、80年代の作品群を通底する基本的な特徴の多くが、既にこの「後期の初期作品」に芽生えている。いまからここで詳しくみていくのは、それらもろもろの共有派生形質のほうである。だがその前に――

 

入場曲

Con Luigi Dallapiccolaと... sofferte onde serene ...の二作品とこれまで言ってきたけれども、Al gran sole carico d'amoreとFragmente/Das atmende Klarseinのあいだに挟まれたノーノの模索期には、じつはもう一つ別の作品が初演されている。1976年のI turcs tal Friúl。これは、

  • 1954年のシェークスピアのWas ihr wollt=『十二夜』もしくは『御意のままに』
  • 1965年のペーター・ヴァイスのDie Ermittlung=『追究』

に次ぐ、ノーノとしては3番めの、演劇のための付随音楽である。この作品については、下記URLの解説記事のほか、

 http://www.pierpaolopasolini.eu/saggistica_LuigiNono_musica-per-Turcs.htm

 2011年に出版された、

 Isadora Cordazzo. I Turchi in Friuli di Pier Paolo Pasolini. Genova: Le Mani

 という本のなかでも20頁ほど(うち図版が13頁)とりあげられている。以下の記述は、これら二つの資料に基づくものである。

 

I turcs tal Friúl=『フリウーリのトルコ軍』は、若き日のピエル・パオロ・パゾリーニが、母親の故郷であるイタリア北東部フリウーリ地方の片田舎に疎開していた1944年にフリウーリ語で書いた戯曲で、15世紀末に同地の侵略を企てたオスマントルコの軍勢と住民との攻防を題材としている。1975年11月2日にパゾリーニを襲った突然の死の後で、30年の時を経て日の目をみたこの劇作は、はやくも翌76年の11月13日に、同年5月の大地震で甚大な被害に見舞われたフリウーリへのエールの意味合いも込めて、ヴェネツィアのサン・ロレンツォ教会で初演される。そしてこのとき、音楽を担当したのがノーノであった。専用の劇場ではない教会での上演に伴い生じた音響面での不具合を克服するにあたっては、ノーノの助言がたいへん役に立ったという。この同じ場所は、8年後の1984年9月にPrometeo世界初演の舞台となる。

 

ノーノの楽譜は、76年の公演の共催者であったフェニーチェ劇場がそのまま保管していたため、例の1996年の火事によって、劇場もろとも焼失の憂き目に会ってしまう。2000年になって、音楽学者のRoberto Calabrettoと作曲家のDaniele ZanettovichがArchivio Luigi Nono所蔵のノーノの草稿と初演時の録音をもとに失われた楽譜を復元する試みに取り掛かり、二人を中心とするチームの数ヶ月にわたる作業を経たのち、I turcs tal Friúlは独立した音楽作品として蘇ることになった(草稿からも録音からも原曲の手がかりが得られず、推量によって補作せざるを得なかった箇所は、幸いにして一部に限られていたとZanettovichは語っている)。

 

なんでもかんでもアップロードされることで有名なYouTubeには、ノーノの作品リストのなかでももっともマイナーな部類に数え上げられるだろうこのI turcs tal Friúl復元版の2001年の演奏のもようも投稿されている。

 

Sclesis - Schegge

http://www.youtube.com/watch?v=30Lj1giNmPs

※演奏開始は19分46秒ごろから

 

みてのとおり、I turcs tal Friúlの劇音楽は合唱曲である。編成は、女声合唱、男声合唱、それに、ティンパニ、鐘、大太鼓、サスペンデッド・シンバルの打楽器群。

 

ノーノの音楽をずっとリアルタイムで聞いていた人がおそらく他の何にもましてノーノの変貌ぶりを実感したのは、Das atmende Klarseinの清澄きわまる合唱を耳にした時だったのではないかと思う。I turcs tal Friúlの合唱には、そのDas atmende Klarseinの七掛けくらいのインパクトがある。冒頭の鐘の一打に続いて聞こえてくる、カトリックの古い典礼歌のように清冽な女声合唱。これは一体なんなのだろう?じつはこの合唱は、カトリック典礼歌「のように」ではなく、カトリック典礼歌そのもの、11世紀から12世紀にかけて成立したとされる、Cunctipotens genitor Deusという二声のオルガヌムである(現在ではKyrie IVと呼ばれているグレゴリオ聖歌が定旋律に置かれている)。これは、トルコの異教徒たちの手からわれらの村をお救いくださいますようにという、フリウーリの人々の主への祈りに寄り添う歌声である。対照的に、進撃してくるトルコ人たちの歌う男声合唱は、打楽器を伴い、ダイナミックで荒々しい。この劇においてトルコ人は、肉体をもった登場人物としてではなく、遠い歌声というかたちでのみその存在を示す。音楽は性格の異なるこれら二つの合唱が交互に現れる構成をとっており、二回目以降のCunctipotens genitorには男声も参入してくる。いちばん最後に置かれた、混声合唱による歌詞のない長いグリッサンドは、主要登場人物の村人二人と司祭が、トルコ人の軍勢を退却させる奇蹟の砂嵐の到来を目撃する幕切れの場面でつかわれているものである。

 

クレドとシェマへの一瞥

ちょうど後期の作品群への門口に立っていたこの時期のノーノが手がけた劇音楽に、グレゴリオ聖歌系譜を受け継ぐオルガヌムが素材として用いられているという事実は、あくまで劇の内容に則したものではあるとはいえ、たんなる偶然にしては出来すぎているくらいだ。というのも、80年代のノーノは、後期の諸作品を通底する最重要概念と言ってよいだろうsuono mobile(動く音)の歴史的事例として、ユダヤシナゴーグの歌の、細部において絶えず微分的に揺れ動くmobile(動的)な歌唱を、カトリックグレゴリオ聖歌のstatico(静的)な歌唱との対比というかたちでしばしば取り挙げているからである。

 

グレゴリオ聖歌シナゴーグの歌の静/動の対に関しては、後の稿(「断ち切られない歌 前篇 3/8」)で詳しくとりあげるので、ここでは図式の提示にのみ留めることにするが、後期ノーノの音楽的思想のなかでは、以下の二つのものがおおむねパラレルな関係にある。

  • statico:Das atmende Klarseinのアカペラ合唱:純粋性
  • mobile:Das atmende Klarseinのバスフルート独奏:無限の可能性

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「Das atmende Klarseinの合唱はグレゴリオ聖歌のように静的である」という言い方は、したがって近似的には妥当である――あくまで近似的には。厳密にみればそれは少し違うのだということを、いずれDas atmende Klarseinを主題とする稿のなかで論ずることになるだろう。完全に静的な状態、すなわち全き純粋性に、人間業で辿りつくことは不可能だ、ということである。Das atmende Klarseinの澄みきった、スタティックな歌声は、極微の細部に耳をすませて聞くと、本当は微かに、不安定に、揺れ動いている。だから超微視的なレベルにまで降りていけば、結局この合唱もまたmobileだということもできるのである。

 

グレゴリオ聖歌シナゴーグの歌の対比と密接に関連するsuono mobileと感情の関係についてもほんの概略だけふれておこうと思う(詳細は「断ち切られない歌 前篇 4/8」で述べる)。主にエドモン・ジャベスとの対話をとおして、ノーノはシナゴーグの歌(より一般的にはユダヤの音楽)の微細な揺動を感情の問題として、すなわち、相反する複数の感情が同時的に併存していることの反映として捉えている。ノーノ自身はそれをユダヤ的発想だとしているわけだけれども、じつは感情についてのこうした考え方は、ジョルダーノ・ブルーノの思想にも酷似している。以前私は、ノーノのなかのブルーノ的なものは大きく分けて二つの面にあらわれていると書いた。そのうちの一つが、「ブルーノーノ・第一部」でみてきた、空間的、時間的な連続性の認識と、そこから導き出される流転の肯定であり、第二の要素が、『英雄的狂気』のなかでブルーノが熱く語っている、さまざまな葛藤を抱え千々に揺れ動く感情の多様性――それは「瞑想的」などという形容からは程遠いものである――の肯定である。そしてこの流転のテーマと感情のテーマがひとつに合流した、ノーノの音楽のなかでもブルーノ的世界観がもっとも濃密にあらわれている作品が、Risonanze errantiなのである。

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