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アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

断ち切られない歌 中篇の上 8/9

母子の肖像

ところで、ノーノはいつも発言のなかでエコーとリバーブを使い分けているようだが、この両者はそれではどう異なるのかというと、エコーは日本語の反響、リバーブは残響に相当し、どちらも音の反射によって生じる現象で原理は同じであるが、前者は直接音と個々の反射音を区別して聞くことができるケース、後者は反射が連続的に生じており、直接音と一連の反射音の区別がつけられないケースだというのが辞典に書かれている説明である。これらの語、とりわけリバーブの語をつかうときふつう想定されているのは、反射が一度ではなくつづけて何度も起きるような状況である。実際それは、「音源が振動をやめた後もしばらくの間、引き続き音が聞こえる」という、残響の定義どおりの一種の「音の記憶」を実現させるためには必須の条件である。

 

その点からみたとき、ノーノの「母空間」であるジュデッカ運河は、じつのところさほど恵まれた条件にあるわけではない。建物より高いものは存在しない平らな島に挟まれた、幅約400mの開水面は、そこに流れ込んできた音を何度も繰り返し反射させるにしてはいささかひらかれすぎているのである。たしかにここジュデッカ運河では、主として海面による音の反射が広汎に生じているが、サン・マルコ寺院の内部のような屋内の空間や、海面と海底の両側に反射面をもつ海中と比べて、いかんせんその効果は限定的である。反射による時間の攪乱は概して単発的であり、海面で発生したリフレクション=記憶の身振りは、結局その多くが誰のもとにも送り届けられることなく、虚空の何処かで忘れ去られてしまう。

 

オリジナルの空間モデルが抱えるこの弱点を克服するためには、母空間を適宜変形させて改良を加えるというやり方がたいへん有効である。そのようにして母から生まれてきた子供たちをいくつか紹介しよう。

 

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図1 子空間その1 *1

「さすらう反響」もしくは「さすらう共鳴」という意味の表題をもつRisonanze errantiの作曲にあたってノーノは、空間のなかを音が動いていく様子を描いたイメージ図を何枚か書き残している。そのうちの2枚がMarinella Ramazzottiによるノーノについての本に転載されている。これはそのうちの1枚。PICCOLO SPAZIO INTERNO(小さな内側の空間)と、それを取り巻くSPAZIO ESTERNO(外側の空間)。図の上段は外→内の動き。一部は内側の空間を縁取る面にぶつかる。図の下段は内→外の動き。やはり一部は内側の空間を縁取る面にぶつかる。

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図2 子空間その2 *2

そしてこれは別の1枚。 中央の音源から外側の空間(esterno Raum)へと四散していく音の動き。音は外側の壁にぶつかって反射し、逆に内側へと還流してくる。図の上側にノーノが書き添えたフランドルの作曲家Josquinの名前、これは、「記憶の過程と空間の行程とのあいだにノーノがつながりを見いだしていたことを証しだてるものだ」とRamazzottiは述べている。

 

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図3 子空間その3 *3

Ramazzottiの本ではこのほかに、Io, frammento da Prometeoの作曲に際して書かれたと思しき別のイメージ図についてもふれられている。こちらは言葉による説明のみなので、上の図はRamazzottiの記述に基づき想像で描いた再現図。 外→内の音の動き。内側の壁(parete interna)にぶつかって音が砕け(Rompi !)、その場に漂う(Sospendi !)。

 

図1~3で示されている空間的イメージは、いずれも図0の原イメージの変形操作によって得られるものである。

 

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図0 母空間=ジュデッカ運河モデル

 

3つの子空間に共通するポイントは二点である。 第一に、内と外の二つの要素が意識されていること。 第二に、内と外を隔てる境界は不完全であり、内→外や外→内の音の流れが生じていること。 

 

母空間にまで遡って考えると、内側の空間とはすなわち島のことであり、外側の空間とは島を取り巻く海(正確に言えば海面に縁取られた海の上の空間)である。したがって内→外の音の流れとは、母空間に置き換えれば島から海への、外→内の音の流れとは同じく海から島への流れを指す。

*

まずは図1の空間、これは一見して1984年9月のPrometeo世界初演時の演奏空間に酷似している。

 

ヴェネツィアのサン・ロレンツォ教会の内部に置かれた、レンゾ・ピアノ設計の巨大な木の箱船。そこに演奏者と聴衆が乗船し、船の四辺を巡る3層のバルコニーのあちこちに散らばった奏者の奏でる音を、聴衆は船底の位置から聞く。図1のPICCOLO SPAZIO INTERNOにあたるのがこの箱船であり、SPAZIO ESTERNOにあたるのが船を取り囲む教会である。

 

「Renzo Piano Prometeo」などのキーワードで検索すれば何枚も出てくる箱船の画像は、どれを見てもまだ作りかけかと見まごうような半端な姿のものばかりだ。しかしこの船は、もともとそういうコンセプトの船なのである。una nave in cantiere――造船所で建造途中の船だとレンゾ・ピアノは言っている。 *4 船の側面はふすまのような着脱可能の木の板を骨組みに何枚もはめ込んでいくつくりになっていて、半端さの印象は主に、その板がきちんと全面に張られていないところからきている。船内で発せられた演奏音は、一部が船の側板で反射し、一部が船の横腹のあちこちにあいた穴(および船の上部)から船外に流れ出す。外側に流れ出た音は、教会の堅牢な石の壁に反射して内向きに方向転換し、ここでもまた一部が船の側板で反射し、一部が穴をくぐり抜けて再び船内に流れ込んでくる――というわけで、まさしく図1の描くとおりの音の流れが生じることになる。

 

このサン・ロレンツォの空間は、図0の母空間を下図のように変形したものと考えることができる。

 

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母と子の対応関係は、

  • 島  = 木の船     = 内側の空間
  • 海面 = 教会の石の壁  = 外側の空間の縁
  • 海中 = 教会の外の空間 = 外側の空間の外側

である。

 

変形を被っているのは主として海である。もとのイメージでは島を取り巻く平面だった海面が折り畳まれ、海の青い包装紙で内側の空間=島/船を包み込むような格好になっている。その結果として、音の流れ方が顕著に変わる。

 

母なるジュデッカ運河の海面で反射した音は、現実にはかなりの割合が、遮るもののなにもない大空へと発散して結局そのまま流れ去ってしまっていただろうと想像される。内→外(島→海)に対してその戻りの、外→内(海→島)の音の流れが非常に脆弱だったのである。いっぽうの子空間ではこの問題が劇的に改善されている。内から外に流れ出した音は、いまや「島」を平らに取り巻くのではなく立体的に包み込むようになった「海面」に反射して、確実にまた内へとかえってくる。こうして「島」と「海面」とのあいだで反射が繰り返され、音が流れ去らずに、減衰するまで空間を何度も行き来するという状況が成立する。まるでクロノロジカルな時間のように直線的かつ不可逆的に流れ去る動きを、sospeso=漂うような動きへと変容させるという、先に述べた反射の作用が子空間では大幅に強化されているのである。

 

またこのことによって、母空間においては甚だあやふやなものでしかなかった記憶の過程との相似性も格段に鮮明になる。記憶されるべきものの流動性と、「流れ去ること=忘却されること」に抗して流れを屈折させるための反射面の二要素を軸とする、ノーノの動的な記憶のモデルでは、刻み込むや灼きつけるなどの常套句で形容される固定された状態に代わり、sospensioneという宙ぶらりんのふわふわした状態をもって記憶が保持される。母空間における「流れ去る」という挙動が子空間で「漂う」へと遷移したということは、つまりそのぶんだけ子は母よりも物憶えがよくなったとみることができるわけだ。

 

図3の子空間では、音のsospensioneが図0の母空間の海面上にあたる場所ではなく、島の内部に相当する場所で発生している。sospensioneが生じる部位=記憶の座という図式にしたがえば、これは通常の記憶と同様、主体の内面に記憶が宿っている状態を示す図である。カッチャーリが島々の「共同の胎内」 *5 だと呼んだ群島を取り巻く海の、そのうえの空間に音がsospensioneしている「クラウド」的状況と比較して、ここでは記憶が誰に帰属するものであるかをより明確に特定できるようになっている。ただしこの内なるsospensioneも、いったん内から外へと流れ出したものが、外側の空間を縁取る反射面ではね返って内へと戻ってきた結果生じたものだという点を忘れてはならない。

 

図2も内→外→内の動きである。Risonanze errantiの音の海/記憶の海であるシャンソンのこだまは、実際にまったくこの図のとおりの仕方で空間を流動する。この作品ではこだまの演奏時に限定して用いられる音の空間操舵装置ハラフォンは、大別してふたとおりの音の動きを生み出している。ひとつは、演奏会場をゆっくりと円を描いて回転する動き。そしてもうひとつは、会場の中央から外向きに拡散する速い動き。 *6

 

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1987年9月9日にトリノで行われた再演では、上図のようにホールの中央に舞台が設けられていた。この空間構造は、サン・ロレンツォ教会のPrometeoの演奏空間と基本的に同型である。ハラフォンの音響処理が生み出すのは、中央の舞台=PICCOLO SPAZIO INTERNOの四隅に置かれたスピーカーから、ホール=SPAZIO ESTERNOの四隅に置かれたスピーカーに向かって音が四散していく感覚である。Con Luigi Dallapiccolaの原始的なライヴ・エレクトロニクスにおける内→外の音の海の流動は、音響処理のフローチャートを辿ることではじめて理解される半ば机上の理屈でしかなかったが、それがRisonanze errantiになると、 音の海が内側の空間から溢れ出し、外側の空間を蒼く染め上げながら拡散していくもようを、その場ではっきりと体感することができるまでになっている。内から外へと遠ざかっていく音(記憶)は、もちろんそのまま流れ去ってしまう(忘却されてしまう)ことはなく、ホールの壁――これは母空間の海面に相当する――で反射して再び外から内へと戻ってくる(想起される)。ホール四隅に内側へ向けて設置されたスピーカーから届けられる音は、この逆向きの潮流の具現化である。

*1:Marinella Ramazzotti (2007). Luigi Nono. Palermo: L'Epos, p. 203.

*2:Ibid., p. 209.

*3:Ibid., p. 208.

*4:Renzo Piano (1984). Prometeo: uno spazio per la musica.

*5:マッシモ・カッチャーリ「群島としてのヨーロッパ」、『現代思想』2002年8月号

*6:Reinhold Schinwald (2008). Analytische Studien zum späten Schaffen Luigi Nonos anhand Risonanze erranti. [pdf]