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アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

断ち切られない歌 中篇の上 1/9

こだま、海の歌(承前

塩分を含んだ水の巨大な量(マッス)が何億年もかけて作りあげた混沌と秩序、それを一瞬のうちに「海」と言い切ってあとに残された海と同じ大きさの空虚を私たちは水や魚や貝や海胆という言葉で少しずつ満たしてゆく以外に方法はないであろう。

桑原徹 『これは通常その外側に貝殻を生じている』(書肆山田) より

*

この音をなにかに喩えるとしたら、島なんかじゃあないね―― 水のように連続的で/水のように平坦で/水のように不定形で/水のように可変的で/水のように匿名的で/水のように不可算的で/水のように空間を流動する(こともある) ――そんな性質の音、一言で言い切ってしまえば音の海が、ノーノの音楽のなかのそこかしこにひらけており、Risonanze errantiのシャンソンのこだまはそのほんの一例である。

*

他にどんな海があるか。

  1. Guai ai gelidi mostriの 弦楽三重奏+ライヴ・エレクトロニクスの海
  2. Prometeoの Guai ai gelidi mostriから継承された弦楽三重奏の海(Prima Isola、Seconda Isola)
  3. Prometeoの Tre voci aの 弦とユーフォニアムの空と海、あるいは二重刷りの海
  4. Omaggio a György Kurtágの 「ジュデッカ運河」のざわめき
  5. Post-prae-ludim per Donauの 前半部をしめくくるC1音の海、後半部のより抽象的なf1音の海
  6. A Pierreの 仄暗い海中の蒼い沈黙
  7. Caminantes...Ayacuchoの 作品世界を縁取る、オルガンによる異色のドローン
  8. No hay caminos, hay que caminar.....Andrej Tarkowskijの 全篇にわたって連なるG音の海
  9. "Hay que caminar" soñandoの 弦のハーモニクスが微かに波打つノーノ最果ての海

 

怪物の棲む海への小旅行

「 <<音の海>> というのが私にはなんのことだかよく分かりません」

「どうしてですか?」

だってノーノの音楽は、<<沈黙の海>> に <<音の島>> が鏤められた群島の音楽なんでしょう?だったら海は音じゃなくて沈黙で出来ているはずなんじゃないですか?」

 

などとブツブツ言っているわからんちんでもご納得いただけるよう企画した、ノーノの海の見学ツアー。上に挙げた9つの海のなかからひとつだけ選ぶとしたら、行き先は迷うことなくリストの一番めに決まる。NEOS 10801の神録音のおかげもあって、ノーノの海というと真っ先に脳裏に浮かぶのがこのGuai ai gelidi mostriの海である。東海道本線の車窓から見える海で喩えるなら、小田原と熱海のあいだで見える海みたいなもの。

*

Guai ai gelidi mostriの海は弦楽三重奏(ヴィオラ、チェロ、コントラバス)でつくられている。

 

楽譜上の海の眺め。下の楽譜はスコアから直接採ったものではなくて、Manuel Cecchinatoによるsuono mobileについての論文 *1 に転載されている抜粋を写したものである。以下のGuai ai gelidi mostriに関する記述もこの論文に拠っている。

 

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■ 海の眺め 1 Guai ai gelidi mostri (1983) - PARTE I

 

ノーノの海の一般的なつくりがたいへんよく分る譜面だ。まず目につくのは、連続的でなおかつ平坦という、海のもっとも基本的な属性だけを具えた、すこぶる単純な音符である。そしてその単純な音符の傍らに、いつものことながら、もろもろの註釈が書き加えられている。ARCO MOBILE SEMPRE AL TASTOと、VERSO IL PONTEという字が読み取れる。その他の注記は音の強弱に関するものである。下方に見切れているのは、ライヴ・エレクトロニクスの使い方に関する指示を記した欄。

 

上の楽譜を、まずは音符どおりにキーボードで弾いてみる。さてどうだろう、これは海だろうか?聞こえてくる音はたしかに海のように連続的で海のように平坦ではあるものの、いかんせん単調で動きを欠いた、頭でっかちな哲学者の脳内に住みついている均一性の象徴としての海のような、ベタ凪の死んだ海だ。

 

この不活性状態の海のマテリアルを、間断なく揺れ動き、色彩を千々に移ろわせる生きた海へと変貌させるべく、言い換えると、単なる連続性continuitàを連続的変容continua trasformazioneへと変質させるべく、音の細部に影響を及ぼすさまざまな仕組みが導入される。ノーノの細部への拘りとは、しばしば誤解されているようにあやふやな細部を厳密に固定することにあるのではなく、まったくその逆に、硬直した細部を水のように流動化することにあるのである。上の楽譜から読み取れるのは次の4種類の解凍因子である。

  • 運弓法1(ARCO MOBILE)
  • 運弓法2(TASTO - PONTE)
  • ダイナミクス
  • ライヴ・エレクトロニクス

 

A 運弓法1(ARCO MOBILE)

コントラバス奏者Stefano Scodanibbioの談話によるarco mobile誕生のいきさつ~

フルート奏者のRoberto Fabbricianiとノーノが1978年冬に出会い、そのファブリチアーニが、Prometeoのためのコントラバス奏者を探していたノーノにスコダニッビオを紹介して、スコダニッビオとノーノが1982年に知り合う。話し合いの結果それではいっしょに仕事をしようということになり、80年代のノーノのベースキャンプであるフライブルクのEXPERIMENTALSTUDIOにスコダニッビオが出向いていったとき、まず最初にノーノから持ちかけられたのはこんな提案であった。

 

「管楽器と同じようなsuono mobileを弦でもつくることはできるだろうか?」

 

Roberto Fabbriciani(フルート)Ciro Scarponi(クラリネット)Giancarlo Schiaffini(チューバ、トロンボーン)という3人の管楽器奏者とノーノの共同作業による、EXPERIMENTALSTUDIOを主な舞台とするsuono mobileの探究は既にだいぶ前からはじめられており、その成果はDas atmende KlarseinやIo, frammento da Prometeoとしていちはやく作品化もされている。遅ればせながら、弦についても同様の試みに着手する必要があった。

 

もっとも弦に関しては、ノーノがフライブルクを訪れる直前の1970年代末にラサール四重奏団とともに長い時間をかけて作曲した弦楽四重奏曲Fragmente - Stille, an Diotima――ラサールは初演までに1年半ものあいだこの曲の練習を繰り返したとノーノは言っている *2 ――におけるもろもろの試みが、後期作品の各種奏法の素地となっていることを忘れてはいけない。

 

フライブルクでの数週間にわたる試行錯誤を経て、arco mobileというひとつの手法が編み出された。そしてそのarco mobileをもちいたはじめての作品がGuai ai gelidi mostriである。

 

arco mobile、このかなり漠然とした名称で呼ばれる奏法とは具体的にどういうものか。スコダニッビオはこう説明している――手首をつかった弓の回転運動。弓を指板の側に傾けた状態から、弓の毛と弦が垂直に接する通常の弾き方、弓が駒のほうに傾いた状態、そしてまた逆向きの動きといった具合に、弓の毛が弦に接する角度を連続的に、ただし機械的な動きとならないよう不規則に変化させる。この奏法の妙味は、時間とともに弓の角度が万華鏡を回すときのように徐々に変化していき、それにつれて音色が微視的レベルでだんだんと変わっていくところにあるわけだから、持続時間の短い点的な(島のような)音に使用してもさして有効ではない。また、音色の微細な変化を埋没させてしまうほどの陸的な起伏に富んだ音もふさわしくない。上の譜例にあるような平坦な持続音に適用された時にはじめて精彩を放つ、文字どおり「生きる」ために海を必要とする奏法なのである。

 

B 運弓法1(TASTO - PONTE)

とはいえarco mobileは、そのいかにも総称風の呼び名にも拘わらず、弦によるsuono mobileの多種多様なレパートリーに含まれるあくまでひとつの方法であって、Guai ai gelidi mostriの海に海らしい表情を与える唯一のしくみというわけではない。

 

弦のsuono mobileの多岐にわたる手法のなかでも、軸となるのは二種類の弓の動きである。まず第一に、弓が弦に接する角度の変異。これには弓の毛criniではなく木legnoの側の使用も含まれる。arco mobileは毛の接する角度を連続的に変化させる手法だが、

 

CRINI LEGNO CRINI+LEGNO LEGNO+CRINI

 

といった具合に角度を逐次指定する記譜例もよく見かける。そして第二に、指板から駒、さらには駒の後ろに到るまでの、弓が弦に接する位置の変異。

 

当然この二系列の動きは組み合わせることができる。もう一度先の譜例に戻ると、各パートの音の出だしに書き添えられている記述はARCO MOBILE SEMPRE AL TASTOであるから、これは常に指板の側で行うarco mobileである。それが3小節めになるとVERSO IL PONTE、すなわち駒の方に弓の位置をスライドさせつつ行うarco mobileになる。

 

C ダイナミクス

Guai ai gelidi mostriの弦は、第1楽章と第2楽章の末尾で管楽器ともども冷たい怪物に豹変して fffff による恐ろしい咆哮をあげる場面を除けば、終始弱音の潮騒を奏でているが、ひとくちに弱音と言っても、そのダイナミクスppppppppp が8つ)から p までの間で刻々と変動していく。

 

p が8つも9つも並ぶような、ほとんど聞き取れないほどの小さな音、あるいは非常に長いフェルマータ、極端な高音といった具合に、ノーノが強弱においても高低においても緩急においても、中庸に対して周辺部の音を好む理由を、Hans Peter Hallerは次のように語る。

It was particularly towards the higher frequencies that Nono wanted peripheral sounds to be played, which could hardly be realised in concert. Yet, it was the composer's intention that these sounds were almost impossible for the performer to play, since it was exactly the fragile timbre resulting from this, which Nono wanted to preserve -- an uncontrollable sound shape. *3

André Richardも同様のことを指摘している。

...he was very concerned with the "micro-universe"... the region where many, many things can happen, especially with extremes of dynamics... inside this universe one discovers incredible life and can hear infinite newness. Nono was also very interested in volatile and uncertain sounds...extremely high notes on the tuba, clarinet and flute... extreme pianissimo for voices... *4

周辺部において不可避的に生じる音の不安定化、流動化。fragile、uncontrollable、volatile、uncertainといった言葉で形容される音のありさま。「要するに ここ周辺部には 確たる形のあるものは何もない」 *5 という、その場所のいかにも渚めいた様相が、ノーノをあらゆるものの縁へと駆り立てる原動力となるのだ。人はその土地に水のあるかぎりは、必ずや水のほとりへと引き寄せられていくだろうという、メルヴィルが『白鯨』の冒頭で説いていたあの心性とごく近い、水の誘いである。

 

付記1

ノーノの生前に作曲者立会いのもとで行われたGuai ai gelidi mostriの演奏に何度も参加したスコダニッビオの伝える興味深い逸話。「ときどきノーノは、演奏会場の空間にあわせて(スコアからの)削除を行っていました。ダイナミクスだけでなく、弦の運弓法の指定を変更することもありました。legno + criniと書かれていたのをlegnoだけ、あるいはcriniだけにしたり、あるいはtastoとあるところをponteに変えたり。というのも、その場所にはそこに特有の音の響き方があって、指板の側での演奏よりむしろ駒の側での演奏のほうがより効果的だったからです」

 

「私の音楽は空間(※より一般的には環境)とともに書かれるものである」 *6 というノーノの、生物学の用語で言えば「表現型可塑性」の思想どおりの実践だと言える。たとえば、1987年11月28日のNo hay caminos, hay que caminar...Andrei Tarkowskij世界初演に合わせて来日したノーノが、初演の会場となるサントリーホールでやらなければならなかった作業とは、高橋悠治が「20世紀の終わりに」というエッセイ *7 で書いていたように、ノーノがヨーロッパの地であらかじめ「書き上げた」スコアの指示どおりの演奏が行われているかどうかをホールの真ん中に陣取ってたしかめることではなく、サントリーホールと高関健率いる東京都交響楽団という、ノーノがそこではじめて接する「環境」に応じてスコアの細部を修正することである。じじつNo hay caminosのリハーサルの過程で、ノーノはいつものようにその場でスコアをどんどん書き変えていったと伝えられている。

*1:Manuel Cecchinato (1998). Il suono mobile. La mobilità interna ed esterna dei suoni. In: Borio, G., Morelli, G. & Rizzardi, V. (eds.) La nuova ricerca sull'opera di Luigi Nono. Firenze: Olschki: 135-154.

*2:Luigi Nono (1984). Verso Prometeo. Frammenti di diari.

*3:Hans Peter Haller (1999). Nono in the studio - Nono in concert - Nono and the interpreters. Contemporary Music Review 18 (2): 11-18.

*4:Stephen Davismoon (1999). ...many possibilities... Contemporary Music Review 18 (2): 3-9.

*5:岩成達也「四月/皮膚」、『(ひかり)、……擦過。』、書肆山田

*6:Luigi Nono (1983). L'errore come necessità.

*7:http://www.suigyu.com/yuji/ja-text/2000/seijaku15.html