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アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

断ち切られない歌 中篇の下 7/16

海の時間のまま、つづき

後期第3期:Dopo Prometeo
  • A Carlo Scarpa, architetto, ai suoi infiniti possibili (1984)
  • Omaggio a György Kurtág (1983/86)
  • A Pierre. Dell'azzurro silenzio, inquietum (1985)
  • Risonanze erranti. Liederzyklus a Massimo Cacciari (1986/87)
  • Caminantes.....Ayacucho (1987)
  • Découvrir la subversion. Hommage à Edmond Jabès (1987)
  • Post-prae-ludium n. 1 per Donau (1987)
  • No hay caminos, hay que caminar.....Andrej Tarkowskij (1987)
  • La lontananza nostalgica utopica futura (1988)
  • Post-prae-ludium n. 3 "BAAB-ARR" (1988)
  • "Hay que caminar" soñando (1989)

 

Prometeoを分水嶺としてそれ以降、30の圏域は一挙に拡大を遂げる。

*

A Pierreは全篇をとおして MM = 30である。

*

Omaggio a György Kurtágの時間は MM = 30と MM = 60の両極をaccel とrall で行ったり来たりしている。

*

A Carlo Scarpaは MM = 30, 60の2種類。

*

Risonanze errantiの、Prometeo後の作品としてはかなり複雑なテンポ推移の全貌は、さきほどグラフで示したとおりである。その時のグラフをもう一度、後ろのほうに注目してよく眺めてみよう。

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おわかりいただけただろうか、

  • シャンソンのこだま:MM = 30の海に向かってひらいた小さな覗き穴
  • メルヴィル、バッハマンの詩句断片:その海に浮かぶ大きな島、もしくはその海を渉っていく船

という構図に、終盤になってある変化の生じていることが。

このLiederzyklusの背骨にあたるメルヴィルの歌は、308~325小節にかけて四たび繰り返されるdeathの語をもって途絶する。そのdeathを歌うくだりのテンポが、MM = 30に設定されている(四度のdeathの合間に挟まっている不整脈的な打楽器の連打のテンポが、MM = 30の「1オクターブ上」のMM = 60)。「死」とは、メルヴィルの島ないし船が、こだまをとおしてチラチラと垣間見えていたMM = 30の海に呑み込まれることなのである。

メルヴィルの歌の死後を引き継ぐのはバッハマンである。332~334小節のVerzweiflung=絶望の叫び(テンポはMM = 92→rall→60→accel→92)を経て、335小節から、Lentissimo, come frammento finale sospeso! と付記されたich? du? er? sie? ... の問いかけのコーダが最終379小節までつづく。そのコーダのテンポがこれまたMM = 30である(この間に現れる別のテンポは、355~356小節の突発的な強音におけるMM = 60と、最後のこだまを含む367~371小節のMM = 54のみ)。メルヴィルの死とバッハマンの絶望を踏み越えたその先にひらけてくるRisonanze erranti終局の光景は、もはや島影も船影も消えた「大いなる海の屍衣」 *1 だったのだ。

*

No hay caminos, hay que caminarはPrometeoのTre Voci bと同じ MM = 30, 60, 120で、Tre Voci bと同様テンポとダイナミクスのあいだに正の相関が認められる。

*

Caminantes.....Ayacuchoのテンポは30系列の3種類(MM = 30, 60, 120)と44系列の2種類(MM = 44, 88)の計5種類からなる。MM = 30の変異型として、meno di 30 (30より遅く)の表記が一部に使われているのが特徴(71~77、141~147、170~174、204~211、268~319小節)。ノーノのスケッチではこれについて、ca. [MM] 25!!! tra 25-30!!! と具体的な数値が示されている。 *2

*

Post-prae-ludium per Donau

 

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NEOS盤SACD (NEOS 11119) のジャケット見開きに刷られている、雑然とした構想スケッチ風のもの。これは歴としたPost-prae-ludium per Donauの出版譜の一枚めである。青い丸で囲った部分に注目しよう。

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4 PERCORSI

MM = 30 = ca 4'16"

 

MM = 60 = ca 1'05"

3 PERCORSI

 

TOTAL = ca 5'20"

と書かれている(PERCORSIとはイタリア語の経路=PERCORSOの複数形)。そもそもこの8小節×4段の楽譜をソロ・チューバ奏者がどうやって演奏するのかというと、五線譜の各段がそれぞれ異なる奏法を示していて、奏者は4種類の選択肢のうちいずれかを選んで音を出す決まりになっている。譜面上を上がり下がりしながら伸びていく色分けされた矢印が具体的な奏法選択の経路である。くだんの書き込みの意味はこういうことである。まずはじめに MM = 30のテンポで、4とおりの経路をたどって演奏せよ。次いで MM = 60のテンポ、3とおりの経路で演奏せよ。

*

Découvrir la subversion. Hommage à Edmond Jabès
Post-prae-ludium n. 3 "BAAB-ARR"

この2作品は、楽曲のごくおおまかな構成を示した見取図と奏者との事前の話し合いに基づく即興演奏によって初演が行われており、テンポまで指定されているようなまともな楽譜は書かれていない。

*

La lontananza nostalgica utopica futura

ヴァイオリン独奏とテープのための作品。Leggio I-VI の6章からなる。スコアに付された別紙の注意書きのなかで、全体的なテンポに関して

テンポは30と40のあいだで変化し 時折り不意に 72 120 144 後者はその場でのみ有効

と書かれている。

Leggio I:

楽譜の冒頭に、

TEMPO BASE ← 30 ⇔ 40 : CIOÈ ANCHE MENO 30 - SEMPRE VARIABILE (基準テンポ ← 30 ⇔ 40 : すなわち、30より遅いこともあり、絶えず変化する)

との但し書きあり。楽譜内のテンポに関する記述を順に抜き出していくと、

RALLENTANDO OLTRE 30(OLTRE=越えて)/ 40 / TEMPO BASE / 30 → 40 → 30 / 40 / 72 / TEMPO BASE / ACCELERANDO / 72 / TEMPO = 30 / 72 / TEMPO / 30 → 40 → 72 / TEMPO BASE 30 / 72 / 30 / RALLENTANDO OLTRE 30

Leggio II:

冒頭の但し書き

TEMPO BASE: 30 → 40 → SEMPRE VARIABILE 72-120-142-144

楽譜内の記述

72 / ACCELERNDO / 120 / 30(フェルマータ付)/ 72 / 30 / 72 / ACCELERANDO / 142 / 72 / 120 / 30 / 120 / 30 / 72 / ACCELERANDO / 144 / 144 / RALLENTANDO / 30

Leggio III:

テンポに関する記述なし

Leggio IV:

冒頭の但し書き

TEMPO 30 → 144 ALLA PUNTA VELOCISSIMO

楽譜内の記述

144 RALLENTANDO / 30 / ACCELERANDO / 144 / 30 / 72 / RALLENT / 30 / 144 / 180 VELOCISSIMO / 180 VELOCISSIMO / 72 / RALLENT / 30 / VELOCISSIMO / VELOCISSIMO / VELOCISSIMO / 30 / VELOCISSIMO / 30 / 144 VELOCISSIMO / VELOCISSIMO / 30 / ACCELER / 72 / ACCELERANDO / 144 / 30 / 72 / ACCEL / 144

Leggio V:

冒頭の但し書きはなし。楽譜内の記述は、

30 / ACCEL / 120 / RALL / 30 / ACCEL / 120 / 30 / 144 / 30

Leggio VI

冒頭の但し書きはなし。楽譜内の記述は、

180 / 30-40 / 180 / 30-40 / 180 / 30-40 / 180 VELOCISSIMO / 30-40 / LENTISSIMO

*

"Hay que caminar" soñando

La lontananzaのヴァイオリン独奏パートを断片化したうえで弦楽二重奏に再構成した、ノーノ最後の作品。Leggio 1~3の三章からなる。

Leggio総小節数テンポ推移
1 46 1小節に満たない MM = 72が7回挿入されるほかは MM = 30
2 66 4箇所の MM = 72(2、0.5、4、2 小節の長さ)を除き、MM = 30
3 48 1小節の範囲で5度もテンポが変わる冒頭部の極端な時間の凹凸が、ほどなくして MM = 30 の平面に収束していく。最終5小節は MM = 72、MM = 54ときて、最後はやはり MM = 30 に着地、いや着水する

**

ノーノがベッリーニワーグナーの音楽にみいだした、一個の作品よりもなお大きな海の、ノーノ自身の作品世界におけるひとつの具体的なあらわれがみえてきた。Prometeo以降のほぼすべての作品をその上に浮かべた、MM = 30の大海原である。Risonanze errantiはこの海の圏内に位置しているので、シャンソンのこだまのテンポもMM = 30だろうと容易に察しがついたのである。

*1:メルヴィル『白鯨』135章、千石英世訳(原文:the great shroud of the sea)

*2:Christina Dollinger (2012). Unendlicher raum - zeitloser Augenblick: Luigi Nono: >>Das atmende Klarsein<< und >>1° Caminantes.....Ayacucho<<. Saarbrücken: Pfau, p. 308