アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

断ち切られない歌 中篇の下 6/16

海の時間のまま

時の流速を有耶無耶にさせるフェルマータをこれだけ大量に挿入しておきながら、一方でノーノはずいぶん細かくメトロノーム記号を書き込んでもいるものなんだなと感心しつつ、1976年の... sofferte onde serene ... から1989年のHay que caminar" soñando まで、譜面上の速度指定の数字をひととおり追跡していく。後期ノーノの楽譜はこれだけでも結構楽しく鑑賞できる。ジグソーパズルのように、ピース(=作品)を繋ぎ合わせることではじめて見えてくる大地形というものがあるからである。

注記:以下のまとめでMM =としているのは、断りのないかぎり「四分音符=」である。また、ノーノの譜面上ではメトロノーム記号の数字のあとに「ca.」(およそ)と付けられていることがよくあるが、この表記は省略している。

 

後期第1期の3作品
  • ... sofferte onde serene ... (1976)
  • Con Luigi Dallapiccola (1979)
  • Fragmente - Stille, An Diotima (1980)

 

... sofferte onde serene ... のテンポを遅い順に並べると

MM = 35, 40, 44, 46, 50, 54, 58, 60, 63, 66, 72

*

Con Luigi Dallapiccola のテンポを遅い順に並べると

MM = 32, 36, 44, 46, 54, 56, 60, 66, 72

*

Fragmente のテンポを遅い順に並べると

MM = 30, 36, 44, 46, 52, 60, 66, 72, 88, 92, 112, 132 (このほかに二分音符=120)

この時点ではじめて、時の階梯の底に30の青色が顔を覗かせる。

Fragmenteは演奏開始後しばらくの間MM = 36とMM = 72の交替を軸に曲が進行していき、MM = 30の出番は全200小節のうち45小節が経過するまで回ってこないが、その後は出遅れを取り戻して、終わってみれば200小節中約46小節を占める大所帯をなすまでに到る。

※ MM = 30初登場の場面はArditti盤だと11分46秒から。高音域の微かな持続音がほどなくしてキュッキュッキュッキュキュキュキュといった感じの不規則な痙攣へと変容していく、Fragmente全篇をとおして私がもっとも好きな箇所だ。

Fragmenteの楽譜を精読したDoris Döpkeは、「音のレベルで似かよった断片にはいつでも、同じかもしくは近い値のテンポが割り当てられている」 *1 と指摘している。MM = 30のテンポは、あまりFragmente(断片)らしくない平坦な持続音――島というよりはむしろ、島を取り巻く海を連想させる音――に対して適用される傾向があり、また強弱で言えば総じて弱音である。特筆すべきこととして、Prometeo以降の作品で顕著になる、30の倍、倍のテンポ(30・60・120)をセットで用いる手法を、ノーノはFragmenteの段階で既に実践に移している(Fragmenteがのちの作品と一点だけ異なるのは、最も速いテンポが四分音符ではなく二分音符=120になっているところ)。後述するように、ノーノはこれら3種類のテンポとダイナミクスの関連づけを図っている――30、60、120とテンポが速くなるにつれて音が大きくなる――のだが、その特徴もFragmenteの譜面の各所に表れている。

 

後期第2期: Verso Prometeo(カッチャーリとの共同制作による5作品+α)
  • Das atmende Klarsein (1981)
  • Io, frammento da Prometeo (1981)
  • Quando stanno morendo (1982)
  • Guai ai gelidi mostri (1983)
  • Prometeo (1984/85)
  • ¿Donde estás hermano? (1982)

 

Das atmende Klarseinは当初、Prometeoの最終章および序章に置くことを念頭に制作されていた。アカペラ合唱(C1~C4)とバスフルート独奏(F1~F4)が4度ずつ交互に現れる構成をとる。MM = 30は合唱の部のもっとも遅い、とともに基準となるテンポである。

C1 7小節すべてがMM = 30
C2 46小節中約4小節がMM = 30
C3 MM = 30で始まりMM = 30で終わり23小節中約10小節がMM = 30
C4 15小節中1小節め(MM = 44)と4小節め(MM = 52)を除く13小節がMM = 30

フルート独奏の時間は合唱に比べて明らかに速い(空間的に言えば高い)。

F1 MM = 60、92、および72
F2 MM = 88
F3 MM = 72
F4 テープとのかけあいによる即興演奏のためテンポ設定なし

例外は、最初のフルート独奏部に1小節ずつ計4箇所挿入されている甘美なハーモニクスに対する、メトロノーム記号なしのLentissimo。Roerto Fabbricianiはこれらの挿入句を、フルートの相へと差し込んできた遠い「合唱の記憶」 *2 と呼んでいる。

*

Io, frammento da Prometeoは大雑把に言うと、PrometeoのIsola Seconda(第2島)の音楽を、編成は大幅に縮小しつつ(3人のソプラノ独唱、小合唱、バスフルート、コントラバスクラリネット)、内容を大幅に拡張させた(PrometeoのIsola Secondaの2倍を上回る70分強の演奏時間)作品である。全9章に現れるテンポを遅い順に並べると、

MM = 30, 36, 40, 44, 46, 50, 54, 60, 66, 72

このうちMM = 30, 44, 60, 72の4種類のテンポが特に頻出する。30と60は隣接していることが多いが、音の強弱との連関はさほど明確でない。

*

Guai ai gelidi mostriはPrometeoのIsola Primaと密接なつながりをもつ作品。私はこの曲のなかにはMM = 30が広汎に分布しているだろうと予想しているが、残念ながらスコアを見たこともなく資料も乏しいため、いまのところ実態不明。Ricordiから新版のスコアが刊行される時を待つことにしよう。

*

Quando stanno morendoは、他の3作品に比べるとPrometeoとの直接的なつながりはやや薄い。PARTE I-IIIの3章がそれぞれA、B、Cの3つの節に分かれ、節ごとに一定のテンポがあてられている。

 ABC
PARTE I 40~46 46~56 30~36
PARTE II 40~44 44~54 54~60
PARTE III 45 35 45

御覧のとおり、30の存在はさほど目立たない。

なおQuando stanno morendoには、¿Donde estás hermano? というスピンオフ作品がある。Quando stanno morendoのPARTE IIICをほぼそのまま転用し、歌詞をフレーブニコフの詩から¿Donde estás hermano?(きょうだいはいずこに?)というスペイン語に置き換え、ライヴ・エレクトロニクスを省いたもの。原曲からのわずかな変更点のひとつがテンポ設定で、MM = 45だったのが本作ではMM = 30~34に改められている。

*

Prometeoに到って、30という数に対するノーノの特別なこだわりは疑いようのないものになる。Prometeo全曲のテンポはMM = 30~152の範囲に収まる。章ごとにみていこう。

 

Prologo:

序章Prologoでは2種類のテンポが同時併存している。独奏奏者群(ヴィオラ、チェロ、コントラバスの弦楽三重奏・バスフルート・コントラバスクラリネット・チューバ・グラス)が終始変わらず MM = 30を保っているのに対し、4群のオーケストラと声のテンポは可変的である。遅いほうから順に、

MM = 30, 40, 44, 54, 56, 60, 64, 66, 68, 72, 76, 82, 152
冒頭部のみ「二分音符」=46

Isola Prima:

つづくIsola Primaでも、弦楽三重奏のテンポが MM = 30で一定なのに対し、オーケストラのテンポは

MM = 30, 44, 56, 60, 72, 78, 88, 96, 110, 120

の範囲で変動する。Coro lontanissimoと名付けられた2~6小節の合唱が途中で6回差し挟まれ、そのテンポが

MM = 30 2回
MM = 30, 60 1回
MM = 40 1回
MM = 44 2回

オーケストラの譜面の12箇所に、プロメテウスとヘパイストスの台詞が弦楽四重奏曲Fragmenteのヘルダーリンの詩句断片と同じ要領で書き込まれた、2~6小節の挿入句があり、そこではオーケストラの中のトランペット、ホルン、もしくは弦が5度の持続音を静かに奏でている。これら12箇所のテンポの内訳は、

MM = 30 8回
MM = 44 1回
MM = 56 3回

Isola Primaのオーケストラのテンポが30の数字をつけるのは、このほかにもう1箇所、4度めのCoro lontanissimoの直前の1小節のみである。

Isola Seconda a) Io - Prometeo:

この章以降は全声部に共通のテンポが適用される。

MM = 30, 36, 44, 46, 54, 56, 60, 64, 66, 72, 76, 88, 152

Isola Seconda b) Hölderlin:

MM = 84

※スコアの表記はMM = 72 だが、Carola Nielinger-VakilがAndré Richardから伝え聞いたところによるとノーノは後にテンポをMM = 84 に改めたとのこと。 *3

Isola Seconda c) Stasimo Primo:

MM = 30, 34, 44, 54, 56, 60, 63, 72, 76, 152

Interludio Primo:

ノーノがPrometeo全篇の軸をなすと言っているこの短いが非常に重要な章は、 MM = 30 (o meno) すなわち「30もしくはより遅く」のテンポで統一されている。

Tre Voci a:

MM = 30, 44, 46, 54, 56, 66, 76, 82

この章において30が出現するための必要十分条件は、一箇所の例外を除けば「バスフルートとコントラバスクラリネットが同時に鳴っていること」である。

Terza / Quarta / Quinta Isola:

第3島、第4島、第5島の三つの島(この順に楽器編成が簡素になっていく)が2~18小節の多数の断片に分解され、パッチワークのようにつなぎ合わされて出来ている章。音の次元では断片化が顕著に進行しているのとは裏腹に、テンポは第1島や第2島と比べて平坦さ、連続性を増してきている。Isola Prima、Isola Seconda a)、c) ではそれぞれ約2.8小節、2.4小節、2.2小節だった同一テンポの平均持続期間が、Terza / Quarta / Quinta Isolaでは約12.6小節と、格段に長くなる。三つの島のテンポは昇順に、

MM = 30, 44, 56, 60, 64, 72, 94

島々の断片の間隙に6度回帰してくる、Eco lontano (dal Prologo) と呼ばれる合唱のテンポは

a) 56 → rall → 30
b) 56
c) 30
d) 44
e) 64 → rall → 44 → 30 → accel → 60
f) 44

Tre Voci b:

アカペラ合唱の章。テンポはMM = 30, 60, 120の3種類で、テンポとダイナミクスとのあいだに

MM = 30 ppp
MM = 60 p
MM = 120 fff

という明確な対応関係が設けられている。30、60、120という数の並びを単純な30の倍数ではなく、初項30、公比2の等比数列だと解すれば、ノーノは30の言わば1オクターブ上、2オクターブ上のテンポを選んでいることになる。

Interludio Secondo:

低音楽器主体の4群のアンサンブルによる5分ほどの短い章。テンポの推移の系列をそのまま示す。

44 → 72 → 54 → 40 → 56 → 72 → rall → 60 → rall → 30 → 46 → 30

Stasimo Secondo:

ここもテンポの変化をそのまま示そう。

46 → accel → 88 → 46 → 74 → 46 → accel → 88 → 40 → 88 → 46 → 88 → 46 → accel → 66 → 46 → 88 → 46 →66 → 46 → accel →46 → 60 → 88 → 46 → accel → 88 → 46 → 60 → accel →88 → 46 → 30 → 46 → 88 → rall → 46 → rall → 30

この章の基調をなす MM = 88と MM = 46 のあいだを揺れ動いていたテンポが、終結部においてPrometeo全篇の主テンポであるMM = 30へと「解決」する。

*1:Doris Döpke (1987). Fragmente-Stille, an Diotima. In: Restagno, E. (ed,) Nono. Torino: EDT/Musica: 184-205.

*2:Das atmende Klarseinの楽譜(RICORDI 139378)のInstructional DVDより

*3:Carila Nielinger-Vakil (2015). Luigi Nono: A Composer in Context. Cambridge: Cambridge University Press, p. 267.