アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

断ち切られない歌 後篇の中 2/14

断片=船

Risonanze errantiの四分音符=30の大海原に浮かぶ断片も島ではない。メルヴィルの詩句を原文から切り出して、ノーノは島ではなく船を造った。先ほど言ったように、島と船を識別することは容易である。島には向きがないが船には向きがある。それが船なのであれば、群島のごとく一見バラバラに散在している断片を結びつけ、船の竜骨と同じ方向に伸びていく一筋の航跡を見つけることができるはずだ。竜骨?一文字にまで分解され尽くしていない限り、語句断片には必ず竜骨のような軸があり舳と艫のような極性がある。たとえばpastの語を構成する4文字は必ずこの順に並ばなければならない。順序は同じでもtsapでは向きが逆だ。この点からみても、語句断片はもともと島より船にずっとよく似ているのである。

 

Risonanze erranti決定版の歌詞を構成するメルヴィルの詩句断片は、イタリアで独自に編まれたPoesie di guerra e di mare(戦争と海の詩)という題のメルヴィル詩集に収録の4篇の詩から引かれている。

 

南北戦争を主題とする詩集Battle-Pieces and Aspects of the War (1866) より

Misgivings (1860)

The Conflict of Convictions (1860-61)

Apathy and Enthusiasm (1860-61)

生前は未公表で1924年刊行のメルヴィル全集に初出の詩群より

The Lake (Pontoosuce)

 

ノーノは例によってこれらの詩から飛び飛びに抜き出した一部の語句のみを音楽化している。たとえばMisgivings第1連のうち歌詞に使われているのは茶色太字の詩句のみである。

 WHEN ocean-clouds over inland hills

  Sweep storming in late autumn brown,

 And horror the sodden valley fills,

  And the spire falls crashing in the town,

 I muse upon my country’s ills---

 The tempest bursting from the waste of Time

On the world’s fairest hope linked with man’s foulest

        crime.

あるいはThe Lakeの全96行のうち、Risonanze errantiで歌われるのは60行めのBut look—and hark! からさらにandを抜いたBut look / harkのみである。こうした言葉の扱いを評してJürg Stenzlは「まさしく破壊的な手法geradezu zerstörerischer Weise」だと述べている。 *1 本当にそうなのかを見極めるためには、歌詞をもっと丁寧に吟味しなくてはいけない。

 

断片性のみかけの下に潜んでいる連続性。

 

詩集Battle-Pieces全72篇の時間は序詩The Portentの1859年から巻末のA Meditationの戦後まで、一本の背骨のように概ねリニアに流れている。ノーノが参照していたPoesie di guerra e di mareには72篇のうち15篇が収録されており、Risonanze erranti決定版のためにノーノが選んだ3篇は、1860年の晩秋から翌年春の開戦までの経過を辿った、序詩The Portentに続く巻頭の一続きの戦前詩篇(ただしThe PortentはPoesie di guerra e di mareでは省略されている)である。

 

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Poesie di guerra e di mareの目次

 

リニアな時の流れはこの3篇の範囲にも明瞭に認められる。

 

Misgivings (1860年、晩秋)

The Conflict of Convictions (1860年、初冬~)

Apathy and Enthusiasm (I 1861年の冬の終わりまで II 1861年春~開戦まで)

 

上の3篇の詩をとおしての決定的な転機は一箇所、IとIIの2部構成をとるApathy and Enthusiasm IIの1行めのSo the winter died despairing, である。絶望のうちに冬が死に絶える、そして訪れた春、凍った河が溶けるように、草が萌えいずるように顕在化してきたのは、冬のあいだじゅう潜伏していた戦争への欲望であった。春の暖気のなかで、奇妙な高揚にとらわれたアメリカの市民が争いの渦に呑みこまれていく。1861年4月12日、サムター要塞砲撃を発端として南北戦争開戦。Risonanze errantiの歌詞の範囲は季節を分断するSo the winter died despairing,の行までであり、この時の断層の向こう側の戦争へと連なる語句は採られていない。

 

曲中で実際に歌われている言葉を時系列に沿って並べたRisonanze errantiの歌詞を吟味すれば明らかなとおり、ノーノはBattle-Piecesの3篇の配列を音楽のなかでも忠実に守っている。Battle-Piescesを流れる開戦前夜の冬の時間的な脈絡は、いっけん破壊的な詩句の断片化過程を経た後もなお保存されているのである。

たとえ頭を落としても脊椎を傷付けてはいけない

私たちは時間を傷付けてはいけないからだ

熟れて落ちた果実を食べてもその種には傷付けてはならないように

脊椎を肉から取り出すこと これはまだ一度しか成功していない *2

 

1986年6月のトリノでの再演の折にノーノが書いたRisonanze errantiのプログラムノートの末尾には、シューベルトのWinterreise冬の旅へのやや謎めいた言及がある。

il “WINTERREISE” di F. Schubert, pfffpppfpppppppfffff nel mio cuore *3

Risonanze errantiがWinterreiseである理由の一つは、メルヴィルの歌詞を誘導体として、1860年の晩秋から翌年の冬の終わりにかけてのアメリカの、戦争の予兆を孕んだひと冬の時の推移が移植されてきていることによるのかもしれない。

 

Risonanze errantiの作品世界をゆくBattle-Piecesの船は結局いかなる港に辿り着くこともなく、音楽の終盤に4度繰り返されるdeathの語をもって、『白鯨』のピークォド号のように海の只中で難破し視界から消え去ってしまう。メルヴィルからの引用語群の終端に置かれたdeathの由来にはいくつかの解釈が可能である。その出典をBattle-Piecesの3篇に求めるのであれば、deathの語はApathy and Enthusiasmの中には見当たらず、The Conflict of Convictionsのほぼ結尾のDeath, with silent negativeに現れるので、3篇の詩の登場順が乱れている唯一の例外ということになる。第二の出典候補として、Risonanze errantiの前半部に一箇所だけBut look / harkの三語が挿入されているThe Lake の最終行の文末もdeathである。だがもう一つ、別の解釈がある。メルヴィルの船影が消えた海に、それまで三たび片鱗を覗かせていたバッハマンの鯨が本格的に浮上してくる。メルヴィルのdeathの後を引き継いだバッハマンの歌詞の最初の一語はVerzweiflung(絶望)である。ノーノはメルヴィルのdeathとバッハマンのVerzweiflungの組み合わせによって、Battle-Piecesの冬と春を分かつ時の断層を再現しているのではないだろうか。

 

So the winter died despairing,

died = death

desparing = Verzweiflung

 

1986年3月の初演から翌年10月の決定版初演までの間に、ノーノはRisonanze errantiの大きな改訂を3度行っている。86年3月の初演の段階では、のちの決定版では削除されたメルヴィルの別の3つの詩からの抜粋が歌詞に含まれていた。その3篇とは、Battle-PiecesよりDupont's Round Fight (1861) とAn Uninscribed Monument の2篇、1888年に私家版として刊行された詩集John Marr and Other Sailors with Some Sea-PiecesよりTo the Master of the "Meteor" である。なんでもかんでもアップロードされることで有名なYouTubeに一時期あがっていた86年3月のRisonanze erranti初演版のライブ録音を聞いてみると、終結部のバッハマンのVerzweiflung, Verzweiflung noch vorとich? Du....の間に、演奏時間にして5分強の決定版には存在しないエピソードが挟まっており、その中で上記の3つの詩の断片が歌われている。死deathと絶望Verzweiflungの断層を踏み越えたその先に到来するのは、Battle-Piecesの作品世界を流れる時間と同様に戦争状態(DuPont's Round Fight/An Uninscribed Monument)だったのである。翌年の決定版に到るまでの改訂の過程で、しかしノーノはこれら3つのメルヴィルの詩を削除し、バッハマンの詩句だけを終結部に残した。戦争は回避されたのだろうか?いやそうではない、戦争という怪物の正体を暴き出す役割が残されたバッハマンの詩句に専ら委ねられたのだ。この点は第3部「バッハマン 鯨の歌」で検討する。

*1:Jürg Stenzl (1998). Luigi Nono. Reinbek bei Hamburg: Rowohlt, p. 119.

*2:桑原徹『時間的猥褻物(書肆山田)』より「時間の背骨」

*3:Link