第三の脊索 1/3
ノーノは音楽を志した最初期の頃から、シェーンベルクやヴェーベルンと並んでダラピッコラのスコアに学び、また、1946年か47年にダラピッコラがマリピエロとともにヴェネツィアのサン・マルコ寺院へと立ち寄った折にあいさつに出向いて以来、長きに亘る親交を彼と結んでもいた。 *1 Con Luigi Dallapiccola(ルイジ・ダラピッコラとともに)の表題は、Al gran sole carico d'amore初演の約2ヶ月前の1975年2月19日にダラピッコラがこの世を去ったのちも、この偉大なマエストロがなお、記憶のなかでノーノとともに在り続けていることの証としてつけられたものである。
ダラピッコラがノーノに与えた影響としてここでひとつだけふれておきたいのは、「彼によって、彼のCanti di prigioniaとIl prigionieroによって、異端者への、迫害された人々への私の大いなる愛が生まれました」 *2 というノーノの発言である。これを読むかぎり、ジョルダーノ・ブルーノに対するノーノの敬愛の少なくとも一端は、どうやらダラピッコラ経由のものだと考えてよいようである。ブルーノの詩をテキストに据えたCaminantes...Ayacuchoに関するコメントのなかで、ノーノはこうも語っている――「私にとって、異端者のテキストを用いるというダラピッコラの考えはたいへんに重要なものでした。反逆者、異端者……私の最も新しい作品が、ジョルダーノ・ブルーノのテキストにもとづいて書かれているのは偶然ではありません」。 *3
Con Luigi Dallapiccolaは打楽器アンサンブルのための音楽である。ダラピッコラのCanti di prigioniaの一曲、Congedo di Girolamo Savonarolaに用いられた打楽器群を意識したという。 *4 Congedo di Girolamo Savonarolaの打楽器はティンパニ、マリンバ、ヴィブラフォン、チューブラーベル、サスペンデッド・シンバル、シンバル、トムトム、トライアングル、大太鼓、中太鼓、小太鼓。Con Luigi Dallapiccolaの編成はこれと大きく重複しているがさらに多岐に及んでいる。
- ティンパニ
- マリンバ
- クロタル
- メタルプレート
- チューブラーベル
- 大太鼓
- ライオンズローア
- トムトム
- トライアングル
- シンバル
- チャイニーズ・シンバル
- ウッドブロック
- テンプルブロック
- Bambu (sapo cubana) †
- スレイベル
† これは実物の形状とその演奏法、音から判断するに「竹製のギロ」である。
Con Luigi Dallapiccolaがひとこで言ってどういう音楽であるかは、作曲者自身による次のコメントが端的にしめしているとおりだ。「作品全体が、Il prigionieroのfratelloのfa-mi-do#の三音に基づいています。... sofferte onde serene ...で既にはじまっていた素材の縮減が、みてのとおり劇的に進行しました」。 *5
さてこのコメントであるが、ノーノがついでにふれている... sofferte onde serene ...についてのくだりのなかにも、たいへん興味深い内容が含まれている。そこでまずは、先にこちらのほうにちょっと寄り道していくことにしよう。
インターナショナルの鐘は鳴ったか
... sofferte onde serene ...ではじまった素材の簡素化とは、この作品が、L'Internationale、すなわちイタリア語ではL'Internazionale、日本語では『インターナショナル』の、旋律の一部を核として作られていることを指しているのかもしれない。ノーノの音楽のなかでの『インターナショナル』の引用は、1951年のEpitaffio per Federico García Lorca No 1が、『インターナショナル』の出だしの4音の動きに由来する音型で構成されている例にまで遡るとのことだが、 *6 その後もノーノの音楽には、世界じゅうで歌い継がれてきたこの革命歌の旋律がたびたび姿を現すことになる。「(Al gran sole carico d'amoreの)第二幕三場256小節以降に現れるとともに、オペラの終幕(第二幕フィナーレ681小節、「母」によって歌われる)をしるしづけてもいるNon più servi né padroniの主題(『インターナショナル』から引かれたもの)は、一種の主題歌の役を担っている。それは既に、1971年のEin Gespenst geht um in der Weltでつかわれているのであり(145-7小節、同じテキスト)、また、Al gran sole carico d'amoreのすぐあとに書かれたピアノとテープのための作品... sofferte onde serene ...の大もと、実質的な中核をなしている」。*7 Jürg Stenzlがここで指摘しているように、Al gran sole carico d'amoreの幕切れで「母」が歌うNon più servi né padroni, Su lottiamo(もはやつかえる者でもつかう者でもない、さあ戦おう)は、『インターナショナル』の旋律をそのままのかたちで再現したものである。Non più servi né padroniは、日本語版の歌詞でいうと、「ぼうぎゃーくのくさりたーつひ♪」の部分、そしてSu lottiamoは、「いざたーたかわんいざ♪」の旋律。ただしそれが、静謐な合唱を背景として、通常の『インターナショナル』の曲調とは大きく異なる、悼むような静けさのもとで歌われ、そうして、中期の総決算ともいわれるノーノ二作目の「オペラ」の幕がそっとおろされるのである。
Non (la) più (la) ser (sol) vi (la) né (si♭) pa (sol) dro (la) ni (la)
の旋律は、低い方から順に全音、半音の間隔で並ぶたった三音(sol-la-si♭)からなる、ごく単純なものである。その同じ三音が、じつは... sofferte onde serene ...の中心的モチーフをも担っているというのだ。ドイツ語のとある音楽の掲示板で、音楽学者のWerner Linden氏と思われる人が書いているところによると、... sofferte onde serene... にはこの三音からなる音型が、明瞭に認識できる5種類のヴァリアントとして現れるとのこと。 *8 ノーノの創作リストのなかで隣りあっているAl gran sole carico d'amoreと... sofferte onde serene ...は、後期ノーノの作風の変化を端的に示す例として、対になってとりあげられることもよくあるけれども、素材の点ではきわめて密接な連続性で結ばれているわけである。たとえそれが、ヴェネツィアのなかぞらを行き交う鐘の音を彷彿とさせる音風景に融かし込まれているため、ただ聴いているだけでおいそれとは認識できないとしても、... sofferte onde serene ...全篇が『インターナショナル』の旋律断片を中心に構成されているということであれば、この作品をもって政治的なものに対するノーノの姿勢が一変したというような見方も妥当性を欠いているということになるだろう。「ですから、以前の作品とのあいだに断絶などはまったくないのです」と、件のWerner Linden氏らしき人は、ノーノの作風が後期になって激変したと当たり前のことのように言い立てている輩どもを窘めているのであった。
※ ただし、... sofferte onde serene ...においてノーノが『インターナショナル』を意識的に引用しているという仮説に対しては懐疑的な見方を示す人もいる。 *9
「ス」コンポジツィオーネ
ノーノが言うようにCon Luigi Dallapiccolaでは、素材の単純化が... sofferte onde serene ...と比べなおいっそう進行した。スコアの冒頭で、この作品は次の三音で作られています、ということがあらかじめはっきりと宣言されている。
ただしこの、「三音からなる」ということの意味あいが、... sofferte onde serene ...とCon Luigi Dallapiccolaとでは明らかに異なるのだ。前者が、Jürg StenzlやWerner Lindenが考えるように『インターナショナル』の3つの音を中心的素材として「組み立てられた」音楽(composizione)であるとすれば、後者は逆に、3つの音のそれぞれを多様な部分へと解体すること(scomposizione)を主として、演奏時間15分前後にわたる持続を成立せしめている。「鯨」とひとことで言い表せる動物を徹底的に解体することによって、たとえば鯨の尾についての記述だけで小説の一章や二章をしたてあげてしまう、あの『白鯨』のスタイルでつくられた音楽がCon Luigi Dallapiccolaなのである。
「un solo suono che eravamo abituati a considerare molto preciso, uniforme, unitario(私たちが習慣的に、たいへん明確で均質であり一体のものだと考えてきた単一の音)」 *10 を解体する手段には大別してふた通りあり、第一の、間接的な方法が、ピッチを正確に再現する能力の劣る打楽器を使用すること、第二の直接的な方法が、この作品ではじめて導入された(=演奏音をリアルタイムで加工するという意味において)ライヴ・エレクトロニクスである。
甘美にして暴力的なシグナル
ところで、Il Prigionieroのfratelloのfa-mi-do#とはそもそもなんのことか?フェリペ2世治下の16世紀スペインの異端審問を題材とするダラピッコラのオペラIl Prigioniero(囚人)の中で、看守が地下牢の囚人のことを呼ぶ言葉、それが、
fra (fa) -te (mi) -llo (do#) = 兄弟よ
である。独房につながれた囚人のただ一人の話し相手である看守は、いつも親身になって励ましの言葉をかけてくれる、囚人にとっては闇のなかの唯一の光のような存在である。兄弟よ、希望をもつのだ。遠いフランドルの地では、ひとびとが既に王フェリペの圧制に対抗してたちあがりつつある。君の待ち望む自由は近い、兄弟よ、信じるのだ。看守のfratelloという呼び声は、私が聞いたことのあるもっとも甘美な言葉、dolcissima parolaだと、囚人は面会に訪れた母に語る。だが、看守の正体はじつは異端審問所長で、彼は処刑前の囚人にありもしない希望を夢見させるという陰湿な罠を仕掛けるべく、看守に成りすまして甘言を弄していたのだった。ある日看守は、牢獄の鍵をわざとはずしたままにして囚人のもとを立ち去る。脱獄を企てた囚人が暗く長い廊下をくぐり抜けてついに出口をみつけ、中庭の星空のもとで「自由だ!」と歓喜の声をあげているその最中、看守=異端審問所長は物陰からそっと忍び寄り、あの声で呼びかけるのだ。
fra (fa) -te (mi) -llo (do#) 兄弟よ、
いままさに救いが訪れようというときに、なぜ君はわれわれのもとを去ろうとするのかね?かれの言う救い、それは夜明けとともに執行される火刑台上の死のことである。fratelloのfa-mi-do#は、いっけん甘美な響きのうちにどす黒い悪意を秘めた、単純ではあっても相反する要素を孕んだ複合的な言葉/音、のちにノーノがRisonanze errantiに関する自註のなかでもちいた表現を借りれば、violenti - dolcissimi segnaliなのであった。
*1:Un'autobiografia dell'autore raccontata da Enzo Restagno (1987), p. 58
*2:Ibid.
*3:Luigi Nono and Philippe Albèra (1987). Conversazione con Luigi Nono. [pdf]
*4:Un'autobiografia dell'autore raccontata da Enzo Restagno (1987), p. 58
*5:Ibid.
*6:黒住彰博『ノーノ作品への視点』、広島文化女子短期大学紀要 22: 53-65、1989年 [link]
*7:Jürg Stenzl (1981). Azione scenica und Literaturoper. Zu Luigi Nonos Musikdrammaturgie. In: Metzger, H.K. & Riehn, R. (eds.) Musik-Konzepte 20: Luigi Nono. München: edition text+kritik.
*8:Capriccio Forum für klassische Musik [link]
*9:Kay-Uwe Kirchert (2006). Wahrnehmung und Fragmentierung: Luigi Nonos Kompositionen zwischen <<Al gran sole carico d'amore>> und <<Prometeo>>. Saarbrücken: Pfau, p. 116-117.
*10:Luigi Nono (1989). Conferenza alla Chartreuse di Villeneuve-lès-Avignon.