アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

第二の脊索 1/3

ノーノはピアノをめったに使わない。最初期の

  • Variazioni canoniche sulla serie dell'op. 41 di Arnold Schoenberg (1950)
  • Polifonica - Monodia - Ritmica (1951)
  • Composizione per orchestra [n. 1] (1951)

では、ところどころでピアノの音が控えめに鳴っているのが聞こえる。

  • Due liriche greche (1948-49)
  • Julius Fučík (1951) 

の二作品は未聴であるが、編成リストにピアノが入っている。中期には、ソプラノとピアノ、管弦楽のための

  • Como una ola de fuerza y luz (1972)

という、言わずと知れた代表作がある。そして... sofferte onde serene ...(苦悩に満ちながらも晴朗な波)は、ノーノ唯一のピアノ独奏曲。と同時に、ノーノがピアノを用いた最後の作品である。

 

... sofferte onde serene ...がライヴ・エレクトロニクス作品だといえるかどうかはライヴ・エレクトロニクスの定義しだいであるが、もしも生の演奏音をリアルタイムで加工するという点を重視するのであれば、本作はピアノの生演奏と並行して、あらかじめテープに録音した音を再生するタイプの作品なので、ライヴ・エレクトロニクスの範疇からははずれるということになるかもしれない。ただ、これは次のCon Luigi Dallapiccolaについても言えることだが、しくみが単純であるぶんだけ、この作品には、ノーノがライヴ・エレクトロニクスでやろうとしていたことがより端的に示されている、ということもできる。

 

ポリーニのためにピアノ曲を書こうという構想を、ノーノは1975年のうちから抱いていた。当初それは、Notturni - Albe(深夜―黎明)という表題で、詩人マヤコフスキーと愛人のリーリャ・ブリークのカップルへのオマージュである「愛に満ちた」音楽になるはずだった。 *1 ... sofferte onde serene ...に寄せた小文 *2 のなかでノーノがふれている、ポリーニとノーノ双方の家族をおそったun duro vento di morte(死の酷しい風)が、その考えを改めさせる契機となった。死の風とは、ポリーニにとっては子供の死、そしてノーノにとっては、相次いで訪れた父Mario (1890-1975) と母Maria (1891-1976) の死をさす。... sofferte onde serene ...のなかでは、ピアノがヴェネツィアのラグーナのうえを渉る鐘の音のごとく鳴り響く。一面においてそれは弔鐘なのである。

 

マイクロ・ポリーニ

たんなるピアノ独奏曲ではなく、ポリーニの弾くピアノの音を録音・編集したテープを伴っていることが、... sofferte onde serene ...の一番の特色である。そのテープの狙いについて、ノーノは1987年3月の自伝的インタビュー のなかでこう話している。

 

このインタビューは、音楽批評家のEnzo Restagnoを聞き手に、ベルリンのノーノのアパートで1週間かけて行われたもので、ザッテレの岸辺の家の少年時代から、その時点での最新作Caminantes...Ayacuchoにいたるまでの軌跡を時系列にしたがって踏破した、ノーノ自身による作品解説としては、群を抜いて長大(菊判くらいの大きさの本で70頁に及ぶ)かつ網羅的な、基礎的資料である。

初出:Enzo Restagno (ed.) Nono. Torino: EDT/Musica, 1987

※イタリア語。のちにドイツ語、フランス語にも訳されている

 

私はポリーニのピアノのテクニックに、彼の非凡な演奏法だけでなく、コンサートホールでは知覚できないような彼のタッチの微妙なニュアンスに、魅せられていました。マイクロフォンを用いることによって、これらの細部を増幅し、まったく新たな次元において聞きとることができるようになったのです。 *3

 

この短いコメントのうちには、のちのライヴ・エレクトロニクスの根底に横たわるもっとも重要な思想が凝縮されている。ノーノをライヴ・エレクトロニクスへと駆り立てていった最大の動機、それは細部への抑えがたい憧憬であったと私は思う。今年のはじめに、『アリの巣の生きもの図鑑(東海大学出版会)』という、眼を瞠るような生態写真が満載された驚異の図鑑が発売された。この図鑑をみていると、近所の野原で石でもひっくり返してアリの巣を探してみようという誘惑に駆られずにはいられなくなるが、さてそこで発作的に家を飛び出し、そこらへんのアリの巣を片端からのぞきこんだとしても、たぶん思ったほどの満足感を得ることはできないだろう。ありんこが運んでいるミミズの切れっぱしにアリよりもさらに小さな虫がのっかって盗み食いをしている光景なんてものは、まず肉眼だけで見ることは不可能に近い。足下の地面で毎日のように繰り返されていることだとはいえ、それは高性能のマクロレンズを駆使することではじめてひらかれてくる世界なのである。同じように、音の微視的な細部を見よう聞こうと思ったら、わたしたちの感覚を拡張してくれるような、なんらかの道具の助けを借りる必要がどうしても出てくる。そんな道具のなかでももっともシンプル、だがもっとも基本的なものとしてノーノが上のコメントで言及しているのがマイクロフォンである。

 

拡張された耳

ノーノのライヴ・エレクトロニクスとマイクロフォンというテーマで語るべきことはいろいろとある。

 

ライヴ・エレクトロニクスでどのような音響加工を試みるにせよ、まずは演奏音をマイクロフォンで捕捉して電気信号に変換することなくしては話がはじまらない。鉄道で旅行しようと思ったら駅の改札口を必ず通らなければならないようなものだが、さて、改札口は旅に必須の要素であるとはいえ、それそのものに特段の面白みがあるわけではふつうない。マイクロフォンも改札口みたいなものなのだろうか?そうではないのだ。ノーノのライヴ・エレクトロニクスのなかでマイクロフォンは、ただ音を拾い集めるだけの受動的な道具にとどまらない積極的な役割を与えられている。「マイクロフォンはそれ自体ひとつの楽器である」と、Hans Peter HallerもAndré RichardもRoberto Fabbricianiも、口を揃えて強調している。PrometeoをめぐるインタビューのなかでAndré Richardが話していることは、... sofferte onde serene ...に関するノーノの上の発言とまったく同じだ。「奏者がマイクロフォンのじゅうぶんに近くに寄れば、通常は聞くことのできない別の音の世界へと入りこむことができます」。 *4 マイクロフォンは、「肉眼(耳)」では捉えきれない、音符として明示的に書き表すこともできないような音の微細な次元を可聴化し、後期ノーノの生命線である細部をいっそう豊饒なものにする、音の顕微鏡なのだ。ノーノのライヴ・エレクトロニクス作品に関しては、「プラグド」という言葉を、マイクロフォンによって「細部に接がれる」という意味で解したほうがよりふさわしいのかもしれない。

 

顕微鏡ごしに眺める世界は、プレパラートをほんの少し動かしただけでまったく違ったものに一変してしまう。ああいった、僅かな動きに対して非常にsensitiveな環境がマイクロフォンによってももたらされる。ノーノの後期作品では、奏者がマイクロフォンに対してどのような姿勢で音を発するかが楽譜上で細かく指定されていることがある(例:マイクを中心に左右90度くらいの角度でゆっくり首を振りながら歌う)。これは、Quando stanno morendo (1982) 第一楽章のいっけんstaticな歌声が細部に湛えている微妙な揺らめきの一因にもなっている。

 

マイクロフォンを積極的に活用したライヴ・エレクトロニクスの技法として筆頭に挙げられるのが、そのQuando stanno morendoではじめて導入された「ゲート」である。ゲートは、マイクロフォンを介した奏者間のひそやかなコミュニケーションだ。たとえばQuando stanno morendoの第一楽章で、フルート奏者とチェロ奏者は、楽器を演奏する代わりに、マイクロフォンに向かって息を吹きかけるというはなはだ地味な作業に従事している。これはなにをやっているのかというと、ゲートを制御しているのだ。ソプラノ、メゾソプラノ、アルトの歌声に対し、ライヴ・エレクトロニクスで2秒のディレイがかけられるのだが、このディレイ回路への入力のレベルが、ゲート制御者がマイクロフォンに吹きかける息の強さに依存して変動するしくみになっている。マイクロフォンが感受する風圧が強ければ強いほど入力のレベルが上がり、したがってディレイが聞こえやすくなる。あるいはハラフォンのはたらきで歌声が演奏会場を回遊する、その速度がゲートにより制御される。マイクに強く息を吹きかければ、そのぶんだけ歌声も会場を高速で旋回するようになり、息を吹きかけるのをやめれば、声の動きも停止する。マイクロフォンに向って発生するごく局所的な気流が、会場全体に及ぶ声の空間移動を惹き起こすという、バタフライ効果を彷彿とさせるような現象が生じているわけである。譜面上では、ゲートを制御する息の強弱の時間的変化が、下図のように折れ線グラフで表示されている。

 

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音のエソグラム

ミラノのRAI(イタリア国営放送)のスタジオで、ノーノが音響エンジニアのMarino Zuccheriとともに、あたかも接写レンズでのぞきこむかのような流儀でポリーニのピアノの細部にわたる音声サンプルを収集していった3日間のセッションは、後期の特異な作曲スタイルの祖形とみなされよう。このあとノーノは、

といった知己の演奏家と、同様の、さらに密度の濃いセッションを、初期にはRAIのスタジオで、のちにはフライブルクのEXPERIMENTALSTUDIOで繰り返し、各々の楽器(あるいは声)の発しうる音のレパートリーを、音の顕微鏡であるところのマイクロフォンのみならず、音の周波数分布や強弱をリアルタイムで視覚化するEXPERIMENTALSTUDIOのソノスコープといったツールをも駆使して、微に入り細にわたって入念に調べあげていく。後期作品の作曲のプロセスにおいてそれは、寿司屋のネタの仕込みにも比せられるような、すべての土台となる作業である。

 

たとえばFabbricianiとは、1980年の12月1日と2日に、ミラノのRAIのスタジオで、ピッコロとバスフルートのさまざまな奏法をカタログ化する最初の集中的なレコーディングの機会が設けられた。 *5 このときのバスフルートの録音を編集したテープが、Das atmende Klarseinをしめくくる即興パートで用いられている(Das atmende Klarseinは、アカペラ合唱とバスフルート独奏が交互に現れる構成をとっており、このうち4番め、すなわち最後のフルート独奏部では、... sofferte onde serene ...と同様にFabbricianiの演奏のテープが会場に再生され、これに応じてフルート奏者が即興により対話を交わす)。Fabbricianiのテープで聞かれる音は、Das atmende Klarsein前半部の、楽譜に書かれているフルート独奏部で鳴っている音に少なからず類似しており、ノーノの書くフルートの譜面にFabbricianiとの実験の成果が反映されていることがよくわかる。

 

後期ノーノの譜面では、五線譜のそれぞれの段の左端の、通常なら楽器名あるいは声のパート名が書かれるはずのところに、楽器ではなく奏者の名前が書かれていたり、奏者の名前と楽器名が併記されていることがよくある。たとえばOmaggio a György Kurtágの場合であれば、出版された楽譜の一頁めの各段の表記は

  • Contralto
  • Flauto
  • Clarinetto in Sib
  • Tuba

であるが、ノーノの自筆譜だとこの部分は順に、

  • CONTRALTO (SUSANNE)
  • Fl (ROBERTO)
  • CL in Sib (CIRO)
  • TUBA (G. Carlo)

と書かれている。つまりノーノにとってOmaggio a György Kurtágは、一般名称としてのアルト、フルート、クラリネット、チューバのための音楽ではなく、彼がスタジオで実際の音を仔細に聞き、さらに各種の測定機器を用いて、直接耳では聞くことのできない周波数特性のような極微の音の肌理までをも知悉しているSusanneの声、Robertoのフルート、Ciroのクラリネット、Giancarloのチューバを原料に、素材本来の味を生かした調理法でつくられた音楽なのである。Prometeoのスコアの場合であれば、五線譜の左端に書かれているのが楽器名(パート名)か、あるいはソロイストの名前であるか否かが、作品を読み解くうえでのひとつの重要な鍵にもなっている。

*1:Jürg Stenzl (1998). Luigi Nono. Reinbek bei Hamburg: Rowohlt, p. 92.

*2:イタリア語原文はFondazione Archivio Luigi Nonoの作品リスト中に掲載されている。

*3:Un'autobiografia dell'autore raccontata da Enzo Restagno (1987), p. 57

*4:Entretien avec André Richard. [pdf]

*5:Das atmende Klarseinの楽譜(RICORDI 139378)のInstructional DVDより