断ち切られない歌 中篇の下 5/16
穴、つづき
知覚的補完は視覚だけでなく聴覚においても生じる現象で、その代表例が連続聴効果(continuity illusion)と呼ばれるものである。百見は一聞にしかずで、アレコレ説明するより実際に聞いてみたほうがはやい。
http://www.kecl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/continuityIllusion/ja/index.html
↑の「イリュージョンフォーラム」のサイトをひらいてCのボタンを押すと再生される、断線しかかったヘッドホンで聞いているような『エリーゼのために』は、 旋律の随所で音を削除して短い無音に変える加工を施したものである。ところがここで、無音の箇所を大きめの雑音に置換すると、途端に旋律が滑らかにつながって聞こえるようになる(D)。
原理は「ルビンの壺」とまったく同じ、図地反転である。上図は、エリーゼの旋律を沈黙の断片でマスキングしたものだと説明することもできそうにみえるが、あいにくと沈黙はなにかの上に乗せることができるような性質のものではない。まさにその字のごとく、沈黙は「沈む」のだ。水がそうであるように、沈黙は自然に下方へ引き寄せられていき、その上に個々の旋律断片を島のように浮かべたひとつづきの海になる。この透明な沈黙の層のさらに背後になんらかの音が隠されていると想像することは非常に難しい。
下図では、旋律の途中に挿入された沈黙が雑音に置き換えられる。「ノイズが乗る」という慣用表現のとおり、雑音は旋律の上に場所を占める。沈黙との関係において図の位置にあった旋律断片が、雑音との関係において地の位置に移る。人間の脳はこの布置を、エリーゼの旋律線の上に雑音が覆いかぶさって旋律を遮蔽している状態だと解釈するため、雑音の濁りの下にあって聞こえないが存在しているはずの音が脳内で自動的に補完され、かくしてバラバラの旋律断片がひとつにつながりあうのである。
下図を横方向から眺めると、それが実際には三つの層の堆積からなっていることが分かる。上から順に、雑音の島、旋律の川、沈黙の海。これは、知覚の階層を図から地に向かって下りていくにつれて、固体的なものがだんだんと液化していく遷移の系列である。旋律は雑音と沈黙の中間の層にあって、上方の雑音に対しては地として振舞い、雑音との境界線によって断ち切られることなく流れつづける、と同時に、下方の沈黙に対しては図として振舞い、沈黙との境界線により流路の規定を受ける。旋律が描く一筋の川の流れは、雑音との関係において発現された地の液体的性格(連続性、流動性)と、沈黙との関係において発現された図の固体的性格(固有の輪郭)の両性具有によって産まれた、液体と固体の中間的な一形態である。
階層を下りきった知覚世界のいちばん遠いところに「海」と呼ぶべきものがひらけてくるのは、視覚でも聴覚でも変わらない。人が知覚する音響空間の最底面に遍く存在する沈黙の大洋のことを、近藤譲は「あらゆる <聴こえる音> の背後に永遠に流れているドローン」 *1 と呼んでいた。旋律の川が流れる面よりも低く、沈黙の海面よりもほんの少し高い位置に、沈黙をそのまま可聴化したような持続音の海が横たわっているということもあり得るだろう。
*
Tristanの評においてノーノは、断片性を連続性に接続するための、おなじみの「島モデル」に代わる第二の方法を提案したのだと言える。音の断片を島としてではなく穴として、沈黙と測りあえるほどの深い穴として聞く。言い換えると、断片を図ではなく地で鳴らすということ。
島(図)としての断片は、四囲を連続性すなわち海に取り巻かれている。断片は、連続性を望見するための足場である(渚へ降りよ)。穴(地)としての断片は それ自身が連続性(海)の一部分をなしている。穴の縁に立って見下ろすちっぽけな水たまりのようなものは、下層遠くに連なる海の広大な拡がりの、ほんの一角である。穴は音と無音の境ではなく、suoni=聞こえる音と、ultrasuoni=聞こえないけれども存在している音の境をかたどっている。断片は、連続性を復元するための素材である(補完せよ)。
Tristanの海が、作品のところどころに空けられた穴をとおして下方に僅かに垣間見えるultrasuoniの大洋なのだとすれば、その海が楽劇の終結によってなお断ち切られることなくつづいていく理由もたやすく説明がつけられよう。海の水は一個の作品の縁を乗り越えて溢れ出すのではなく、地の性質にしたがって作品の下側を無抵抗にすり抜けていくと言うべきだったのだ。
特別な数字
ではこれも穴だろうか。シャンソンのこだま。Risonanze errantiの全篇にわたって散在する13個、細かく分ければ18個の断片。
「連続性 穴からみれば 回帰性」の標語のとおり、一面の広大な海の存在は、穴の個数だけ回帰してくる青色の欠片によって暗示される。Tristan und Isoldeの場合は、その青色に相当するものがB♭マイナーの和音の響きであった。シャンソンのこだまの青さがもっとも顕著に表れるのは時間である。時間とはつまり、譜面上でのこだまのテンポ設定のことである。ノーノの後期作品の楽譜を見慣れた人であれば見当がつくはずだ、こだまの時間は「四分音符=30」ではないだろうか。
この稿の前半で掲げたこだまの目録にテンポの項目を付け加えると、次のようになる。
ID | 小節 | 再生時間 | テンポ | 残響時間 (s) |
---|---|---|---|---|
01A | 36-40 | 3:54-4:38 | 30 | 10 |
02A | 60-65 | 6:30-7:20 | 30 | 20 / 4 |
02B | 66-68 | 7:25-7:36 | 72 | 4 |
03A | 83-85 | 9:02-9:27 | 30 | 4 |
04A | 103-111 | 11:12-12:25 | 30 | 20 |
05A | 133-137 | 14:37-15:16 | 30 | 4 |
05B | 137-138 | 15:17-15:46 | 30 | 70 / 4 |
06A | 188-194 | 19:38-20:28 | 30 | 60 |
06B | 196-196 | 20:32-20:35 | 88 | 4 |
07A | 214-218 | 22:29-23:06 | 30 | 4 |
08A | 242-245 | 24:57-25:09 | 64 | 4 |
08B | 245-247 | 25:10-25:43 | 30 | 20 |
09A | 256-261 | 26:15-27:15 | 30 | 30 / 4 |
09B | 262-265 | 27:16-27:54 | 30 | 30 |
10A | 288-293 | 29:54-30:40 | 30 | 10 |
11A | 319-320 | 33:02-33:32 | 30 | 50 / 4 |
12A | 357-366 | 37:26-38:36 | 30 | 80 |
13A | 369-371 | 38:48-39:03 | 54 | 4 |
※ 小節数の後に示した時間は、Risonanze errantiの現時点で唯一の録音であるSACD (NEOS 11119) の再生時間である。
全18箇所のこだまのうち、
- 四分音符=72(02B)
- 四分音符=88(06B)
- 四分音符=64(08A)
- 四分音符=54(13A)
が各1箇所ずつ。これ以外の14箇所は予想どおり
- 四分音符=30
である。以前少しふれたように、06B、07A、08Aの3つのこだまはもともと特殊な性格のこだまである(これらのこだまは言わば「干上がった海」である)ことを考慮すると、明らかなはずれ値とみなされるのは02Bと13Aのみである。
ところで、Risonanze errantiの楽譜上でこだまの起点は上の譜例のようにそのつど明記されており、終点も複縦線で区切られて、すべてのこだまの所在が正確に特定できるようになっている。02B、06B、08Aの3つのこだまは、NEOS盤SACD(NEOS 11119)のブックレットや、Nathalie Ruget、Reinhold Schinwaldの論文 *2 *3 に付いている歌詞のなかではジョスカンもしくはマショーのこだまに分類されているが、譜面上ではこだまの位置を示す枠の外側に置かれていて、どうやらこだまの範疇に数えられていないようなのである。そこでこれらを「もぐりのこだま」として正規のこだまから除外すると、15箇所のこだまのうち、四分音符=30から外れる例外はただ1箇所だけ(13A)ということになる。
Risonanze errantiの楽譜は終始一貫して4/4拍子で書かれている。いまここで、横軸を小節数、縦軸をテンポとしてグラフを描いてやれば、例によって随所に差し挟まれるフェルマータの効果が加わる前のRisonanze errantiの時間の形状を、眼前の空間に可視化することができる。
Melville メルヴィルの歌詞断片
Bachmann バッハマンの歌詞断片
Eco シャンソンのこだま
Eco 2 譜面上でこだま扱いされていない02B、06B、08A
四分音符=30は全篇をとおしてもっとも遅いテンポであるから(厳密に言うと、372小節から最終379小節までのテンポの表記は、四分音符=30 ca., o meno(およそ30、もしくはより遅く)となる)、空間に変換すると、海抜ゼロメートルのもっとも低い位置にくる。グラフのなかで濃い青色で表示した正規のこだまは、1箇所を除いてすべて四分音符=30の海面上に点在している。いや、「海面上に点在している」というよりは、海面そのものなのだろう。わたしたちは「こだま」と呼ばれる12個の小さな穴(目録では05Aと05B、09Aと09Bを分けているが、これらは時間的には連続しているので穴の数が二つ減る)をとおして、同じひとつの海を垣間見ているのである。いっぽう、メルヴィルとバッハマンの時間は、四分音符=30の広大な海の上に、島ないしは船のような、ゴツゴツと起伏に富んだ構造物の外形を描き出している。
歌詞の音声的特徴に基づき、
- シャンソンのこだま=母音優位のLautsprache(音韻)の海
- メルヴィル、バッハマンの詩句断片=子音優位のWortsprache(語詞)の陸
に分類されていたRisonanze errantiの構成要素は、時の地形図に基づいて、いままた同様に海と陸へと二分される。
- シャンソンのこだま=「四分音符=30」の海(に向かってひらいた小さな覗き穴)
- メルヴィル、バッハマンの詩句断片=その海に浮かぶ大きな島、もしくはその海を渉っていく船