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アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの前篇 1/4

これはPost-prae-ludium per Donauの演奏開始から7分53秒までに起きた出来事についてのノートである

 

0001 Post-prae-ludium(前奏その1)

ノーノのライヴ・エレクトロニクス作品の制作拠点であったフライブルクのハインリッヒ・シュトローベル記念財団実験スタジオ(以下、EXPERIMENTALSTUDIO)の初代ディレクター、Hans Peter Hallerと1986年9月に交わしたやり取り *1 の中で、独奏楽器とライヴ・エレクトロニクスのための連作Post-prae-ludiumの構想について触れたノーノは、このシリーズでは奏者の裁量のはたらく余地を従来より拡大して、奏者個人がより直接的に音楽創造に関わることができるようなものにしたい、と目論見を語っている。不確定性を作品に取り入れる試験的な試みは、これに先立つ1983年に初演された、アルト独唱、フルート、クラリネット、チューバとライヴ・エレクトロニクスのためのOmaggio a György Kurtágで既に行われていた。Omaggio a György Kurtágの世界初演版は、

by and large, an improvisation based on a number of agreements reached between the composer and his performers *2

であったという。ところがこのときの初演は、Hans Peter Hallerの回想によると「聴衆の多くをがっかりさせるようなものだった」 *3 とのことである。何がそんなにまずかったのかについてHans Peter Hallerは具体的なことを書いていないけれども、複数の奏者、そしてそこにライヴ・エレクトロニクスが絡んでくるという構成のなかにいきなり即興的なものを持ち込んだことが、どうやら不首尾に終わった一因であったらしい。Omaggio a György Kurtágについては、細部を楽譜に書き込んで不確定要素を排した改訂版が1986年に初演される。いっぽう、独奏とライヴ・エレクトロニクスというよりシンプルな編成のもとで改めて不確定性に取り組もうとしたのがPost-prae-ludiumということのようだ。

 

シリーズ第1作の、チューバとライヴ・エレクトロニクスのためのPost-prae-ludium n. 1 per Donauは、Giancarlo Schiaffiniのチューバにより、1987年10月17日に、ドナウエッシンゲン音楽祭のなかで初演された。

 

このほかにもう一作、ピッコロとライヴ・エレクトロニクスのためのPost-prae-ludium n. 3 "BAAB-ARR" が、Roberto Fabbricianiのピッコロにより、1988年9月4日、ベルリンで初演されている。 *44つのマイクロフォンが分散配置された会場を、奏者がピッコロを演奏しつつ歩き回る。マイクごとに異なる音響加工が施されるようになっており、奏者が移動するにつれて4つのマイクのいずれかの引力圏に接近すると、それぞれのマイクに固有な音響処理の効果が発現するという仕組み。ただし、この作品について決まっていることは以上の基本的設計のみで、初演に先立ってリハーサルが行われることもなかった。当日は、即興演奏をしながら会場を歩いていくFabbricianiに、ノーノが身振りで適宜指示を送るというかたちで初演が行われ、楽譜はおろか、簡単なスケッチすらも一切書き残されていない。こうした事情を受けて、Fondazione Archivio Luigi Nonoは本作を再演不能のカテゴリーに分類している。

 

per Donauは第1番、BAAB-ARRは第3番。では第2番はどこへいってしまったのか。合唱とバスフルートのためのDas atmende Klarsein (1980/1983) のフルート独奏パートのみを抜粋・再構成した独奏作品として1987年にワルシャワで初演された、バスフルートとテープのためのDas atmende Klarsein - FragmenteがあるいはPost-prae-ludium n. 2の位置づけに当たるのかもしれないと個人的に推測しているが、裏づけとなるような証拠は特にない。

 

構想中だった作品についての追記

Fondazione Archivio Luigi Nono所蔵の資料をネットで検索できるシステムがわりと最近になって整備された。特にノーノが残した各種の草稿については、内容に関するかなり詳細なノートが付されているので、この検索を活用すると、まだ構想段階にあった作品についても具体的に知ることができる。そのなかから表題にPost-prae-ludiumを含むものについてのまとめ。以下に挙げるリストから浮かび上がってくるのは、独奏楽器とライヴ・エレクトロニクスのための小品という範疇には収まらない、多様にして予想外に大がかりな連作の姿である。

 

1 Post-prae-ludium per clarinetto

クラリネット独奏とライヴ・エレクトロニクスのためのPost-prae-ludiumの作曲は、ノーノの没年である1990年になってからも、クラリネット奏者のCiro Scarponiの協力を得ながら病床で続けられていた。 *5 *6

 

2 Post-prae-ludia

1988年から1989年にかけて書かれた、連作としてのPost-prae-ludiaに関するもろもろのスケッチ。 *7そのうちの一つは2つの打楽器+複数の声という編成。Post-prae-ludium per percussioniと題せられたものもある。

 

3 Post-prae-ludium Stammheim

最晩年のノーノがあたためていたいくつかの作品のアイディアのなかでもおそらくもっとも作業が進んでいたのが「シュタムハイム・プロジェクト」である。Laurent Feneyrou (2011) *8 によると、その端緒となったのは、1987年3月にラッヘンマンがノーノに贈った1冊の本であった。シュタムハイムで開かれたドイツ赤軍(RAF)のメンバーの裁判に関するPieter Bakker Schutの著書。その本に添えた献辞のなかでラッヘンマンは、「私は(ほとんど毎日)彼女(Gudrun Ensslin)のことを考えています」と書いている。RAFの創設者の一人だったGudrun Ensslinは、じつはラッヘンマンの幼馴染だった。ラッヘンマンがのちに書いた歌劇『マッチ売りの少女』では、Ensslinがシュタムハイムの獄中から書き送った手紙の断片がリブレットに組み込まれることになる。Fondazione Archivio Luigi Nonoが保管しているノーノの草案群のなかに、シュタムハイムを題材とする作品についての言及が現れるのは、1988年の半ばごろからである。 *9 当初の予定では1989年の初演を目指していた。ラッヘンマンのEnsslinに対してノーノのほうは、RAFのもう一人の女性創設者Ulrike Meinhofが獄中で残した言葉を素材として選んでいる。最初期の草案からは、Meinhofだけではなく、アラビア語を含むさまざまな言語による多様なテキストを取り入れるプランをノーノが抱いていたことがうかがわれる。因みにこのアラビア語というのは、ノーノが深い関心を寄せていた、イブン・ザイドゥーンをはじめとするイスラム王朝下のアンダルシアの詩人たちの言葉を指すものだろう。草案の段階なので断言はできないものの、最晩年のノーノが取り組んでいたレオパルディのL'infinitoの音楽化 *10 *11 *12 も、「シュタムハイム・プロジェクト」のためのものだったようである。そしてこの「シュタムハイム・プロジェクト」にノーノがつけていた仮題の一つが、Post-prae-ludium Stammheim, un non misteroというものであった。 *13

 

0000 Post-prae-ludium per Donau(前奏その2)

Post-prae-ludium per Donau の自作解説 *14 のなかでノーノが書くところによると、この作品のpercorso、行程は詳細にわたって固定されているが、楽譜は演奏家のためのappunto、目安となる覚え書きのようなものである。

 

Post-prae-ludium per Donauは、6種類の楽譜と、ライヴ・エレクトロニクスのための4種類のプログラムからなる音楽である。6つの楽譜のいずれを用いるか、4つのプログラムのいずれを稼動させるかは、以下のように時間指定で厳密に決まっている。

  • 00m00s-05m20s 楽譜A/プログラム1
  • 05m20s-07m00s 楽譜B/プログラム2
  • 07m00s-07m53s 楽譜C/プログラム3
  • 07m53s-10m00s 楽譜D/プログラム4
  • 10m00s-11m12s 楽譜E/プログラム1
  • 11m12s-13mxxs 楽譜F/プログラム1

※ 楽譜に割り振ったアルファベットはスコアのそれと正確に対応するものではない

 

一方、個々の楽譜は意図的に「いいかげんな」書き方になっているので、譜面をもとに実際に音を出そうとすると、どうしても奏者(あるいはライヴ・エレクトロニクスの音響技術者)が各自の裁量で細部を肉付けしてやらないといけない。毎年規則正しく巡ってきては過ぎてゆく夏に、猛暑の夏もあれば、冷夏も天候不順の夏もあるように、作品の大枠はいつでも決まった暦にしたがって進行していくにも拘わらず、よりミクロなレベルの不確定性が、あたかも演奏のたびごとに別の年の夏を経験するかのようなとりどりの個性をもたらすわけである。

 

チューバ奏者が発する音は、旋律と呼び得るような脈絡を欠いたきれっぱしである。1980年の弦楽四重奏曲Fragmente - Stille, An Diotimaの断片は敏捷な小魚のように鋭角的で生き生きとしていて、聞き手が途中でその姿を見失ってしまうようなことはなかったが、Post-prae-ludium per Donauの断片は飽和溶液中の溶質の結晶のようなもので、溶媒に溶け込んで消失してしまうおそれを孕んだ不安定な断片である。断片群の消失状態は、7m00sから7m53sまでと、11m12sの2回訪れる。かたちの消えたこの2つの不分明な拡がり――いっぽうは7m00sから53秒間にわたって持続し、他方は11m12sに一瞬現前する――は、南極と北極のように反対の方角に開けている、作品世界の2つの極地である。これら2つの空虚を世界の両極として、音楽は3つの消滅過程に分けられる。

  • 断片群が第一の空虚(7m00s-7m53s)における消滅へと向かう過程
  • ふたたび析出した断片群が第二の空虚(11m12s)における消滅へと向かう過程
  • みたび析出した断片群が第三の空虚、すなわち終わりの沈黙へと向かう過程

 

Post-prae-ludium per Donauについては、Scott Edward Tignorという人がライヴ・エレクトロニクスも含めた演奏法の詳細を解説したA performance guide to Luigi Nono's Post-prae-ludium No.1 "Per Donau"という論文がネット上で公開されているため、後期作品のなかでは例外的に、スコアを入手せずとも作中で行われていることを詳しく知ることができる。

*1:Découvrir la subversionの再演可能性についてのHans Peter Hallerの所見より

*2:Jürg StenzlによるNEOS盤SACD (NEOS 11122) の解説より

*3: Lecture given at Venice by Hans Peter Haller [link]

*4:Post-prae-ludium n. 3の再演可能性についてのHans Peter Hallerの所見より

*5:http://www.luiginono.it/en/node/20658

*6:http://www.luiginono.it/en/node/20659

*7:http://www.luiginono.it/en/node/20654

*8:Laurent Feneyrou (2011). Stillstellung: État d’exception et dialectique immobile dans les dernières œuvres de Luigi Nono. [link]

*9:http://www.luiginono.it/en/node/19815

*10:http://www.luiginono.it/en/node/19812

*11:http://www.luiginono.it/en/node/19814

*12:http://www.luiginono.it/en/node/20656

*13:http://www.luiginono.it/en/node/20655

*14:CRMCD 1003またはSTR 57007のライナーノーツに収録されている。