2016-01-01から1年間の記事一覧
こだま、海の歌(承前) 「こだま、海の歌」から「メルヴィル、船の歌」へ向けて、海にお船を浮かべるための準備作業。それゆえに、 砂漠はサクッと通り過ぎてしまいたい ノーノがエドモン・ジャベスの砂漠へと誘われた経緯は、例によってカッチャーリ→ノー…
ヴェネツィアの石(承前) 「石を聞く」、その言葉の意味を探るために。1988年のサン・マルコ寺院前の談話のなかで、ノーノが「架空のスピーカー」と言っていたことを思い出そう。80年代のノーノが没頭していたライヴ・エレクトロニクスは、ヴェネツィアの空…
水浸しの島 港は青い時の終りではない 阿部良雄『夢の展開(沖積舎)』、33頁 無辺のものを産みだすためになにものかの辺が必要とされるという反射の逆説を、ノーノはラグーナに浮かぶ小舟の上で漏らした最後のひとことでさりげなく乗り越えようとしていたの…
メドゥーサの族 「音の海」とか「音の島」とか言ってるけれど、音というものはそもそも固体か液体かそれとも気体なんですかと問われれば、音は狭義には空気中を、広義には気体だったり液体だったり固体だったりするさまざまな媒体を伝播していく弾性波である…
ゴーン 人間のメドゥーサっぽいところが視覚だけではなく聴覚にも及んでいることを確認するために、頭のなかで鐘の音を鳴らしてみる。 ゴーン ゴーン ゴーン キーン コーン カーン これは和風の鐘の音。英語圏だと多少表記が変わってDing Dong...になる。ド…
ノーノが一度だけ来日した折(1987年)に一度だけひらかれた講演(12月1日)の内容は、これまでに何度も引用したことがある。その講演は、水声社から出ている『現代音楽のポリティックス』という本に収められている。ノーノを含めた5人の作曲家(クリスチ…
近藤譲の音 近藤譲が語る音の手触りは、それはもうとにかく固い。なにしろ「ひとつの音」のさらに上をいく「一個の音」なる恐るべき表現が出てくるのだから。 そこいらに転がっている石ころ一つもきれいですし、音一個も美しいですし、 *1 * 聴くのは旋律の…
FUKAKAIな音楽 「浜辺で石をみつけようとするように、音をみつけている」、あるいは「浜辺で散歩しながら貝を集めるように音を集めた」とケージが言っているのを聞いて、言葉尻をとらえるようではあるが、「ああやはり」と私は思う。やはりケージのイメージ…
ノーノの音 ノーノの講演 *1 の前半部は以前の記事で紹介した。その内容は、ノーノが黒板に描いた三段階の図で要約される。これは直接的にはフランドル楽派の作曲技法を模式図にしたものであるが、ノーノ本人の作曲法のエッセンスを示した図だと受けとってか…
こだま、海の歌(承前) まえおき さて、この先の航海は、一個の音楽作品を取り巻く外側の世界を意識することで その存在が仄めかされてくるより広大な海原へと舵を取り進められていくことになる。 すなわち、「音楽のなかにひろがる海」から、「個々の作品…
第2日 1956年 Il canto sospesoの海 第2楽章のアカペラ合唱の歌詞のなかの、 (Per) esso sono morti millioni di uomini それ(のために)何百万人もの人が死んだ ※原文のPerは歌では省略されている という一節を、構成要素の母音に注目して吟味すると、中…
遠足からの帰宅後 改めて新旧の海のレシピを見比べてみよう。 A 1950年代 前提:あらゆる言葉には水分(=母音)が潜在している。単語(a word)の解体による水(母音)の抽出。取り出した水を、五線譜上で音符をつかって平らに引き伸ばし、海の似姿をつく…
プロメテオのさいはて、つづき senza fine Tristanに関するノーノの主な発言は二種類の文献にまたがっている。ひとつは先ほどマーラーのところでも出てきたカッチャーリとの対談で、もう一つは例の自伝的インタビューである。 Enzo Restagnoによる自伝的イン…
穴、つづき 知覚的補完は視覚だけでなく聴覚においても生じる現象で、その代表例が連続聴効果(continuity illusion)と呼ばれるものである。百見は一聞にしかずで、アレコレ説明するより実際に聞いてみたほうがはやい。 http://www.kecl.ntt.co.jp/Illusion…
海の時間のまま 時の流速を有耶無耶にさせるフェルマータをこれだけ大量に挿入しておきながら、一方でノーノはずいぶん細かくメトロノーム記号を書き込んでもいるものなんだなと感心しつつ、1976年の... sofferte onde serene ... から1989年のHay que camin…
海の時間のまま、つづき 後期第3期:Dopo Prometeo A Carlo Scarpa, architetto, ai suoi infiniti possibili (1984) Omaggio a György Kurtág (1983/86) A Pierre. Dell'azzurro silenzio, inquietum (1985) Risonanze erranti. Liederzyklus a Massimo Ca…
ジョルダーノ・ブルーノの30 ノーノが明らかな意図をもって選択している30という数が、ジョルダーノ・ブルーノの符丁を兼ねているというのは本当のことだろうか? 「ブルーノは30という数字に取り憑かれている」とフランセス・イエイツは言う。 ブルーノは三…
マンフレッドの152 「私の音楽は空間とともに書かれるものである」 *1 と言うノーノは、その言葉のとおり、1984年ヴェネツィア、サン・ロレンツォ教会でのPrometeo初演につづく翌85年のミラノでの再演にあたって、ミラノの演奏会場(Ansaldoという重機製造会…
「ブルーノ・ノーノの海」縁起 あれはもともと、壁に書かれた落書きであった。1987年3月、Enzo Restagnoを聞き役にとり行われた長いインタビューの中でノーノが約2年前にトレドの修道院の壁に見たその言葉、Caminantes no hay caminos hay que caminarの意…
「ブルーノ=ノーノの海」縁起、つづき 第四層 Caminantes no hay caminos hay que caminar 長女のSilviaさんとともに行ったスペイン旅行の途次に立ち寄ったトレドの修道院 Monasterio de San Juan de los Reyes の壁にノーノが例の言葉、Caminantes no hay …
陸から海へ:scomposizioneによる島ルート、つづき ■ 群島の眺め: Fragmente - Stille, An Diotima (1980) - スコア第1頁 Fragmenteの譜面はいわば二ヶ国語で書かれている。音に固体のような確たる形を与える効果をもつ陸の言語と、音に液体のような絶えざ…
陸から海へ:subversionによる穴ルート この世には2種類の断片が存在する。島と穴だ。たとえば、トウシマコケギンポが低潮線直下の水の流れが乱流をなしているような荒磯に、イワアナコケギンポが同じく水の流れが層流をなしているやや波の穏やかな磯に住み…
無限性検査 ノーノの作品世界において30が青色だというのは、単純な比較から導き出される結論である。 ■たくさんの小さな穴をとおして、ひとつの同じ海を見つめている。 青い海 そのひとつの海の上に、浮島のように、船のように点在する、二十いくつかの小片…
阿呆船 ムージルについてやや詳しく述べてきたのは、ノーノの世界観をムージルの世界観と比較するためである。 例によって、1987年春ベルリンの、Enzo Restagnoロング・インタビューのひとこま。「貴方が憎んでいるものはなんですか?貴方にとって抑圧とは、…
遠い音 再びPrometeoのIsola Primaの譜面に目を向けてみよう。Isola Primaはノーノ的世界観の忠実な反映である。併存する二つの世界――この日常の陸と、あの別の海。阿呆船は下層に延々とつづく弦楽三重奏の大海原を渉っていく。その上に聳え立つオーケストラ…