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アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

断ち切られない歌 後篇の上 1/9

Risonanze erranti

こだま、海の歌(承前)

「こだま、海の歌」から「メルヴィル、船の歌」へ向けて、海にお船を浮かべるための準備作業。それゆえに、

砂漠はサクッと通り過ぎてしまいたい

ノーノがエドモン・ジャベスの砂漠へと誘われた経緯は、例によってカッチャーリ→ノーノのホットラインである。「司令塔のカッチャーリから前線のノーノへ決定的なパスが通る」。カッチャーリは1984年か85年にジャベスの『問いの書』を知ってすぐさま魅了され、すぐさまジャベスの全著作を読破して、すぐさまノーノにジャベスのことを話した。 *1 →パスが通る→ノーノもたちまちジャベスに魅せられ、1986年3月にはジャベスとパリの自宅で初対面を果たし、その後も何度か対話の機会を重ねて、最終的にノーノの家の本棚には19冊のジャベスの著書が並ぶことになった。うち5冊は著者の献辞入りである。 *2 なお、以上のタイムテーブルからうかがわれるように、Prometeoの構想にジャベスはほとんど関わっていなかったとカッチャーリは回顧している。 *3

 

ジャベスの砂漠でノーノはsubversion(転覆)という、「いささか魔術的な(カッチャーリ談)」 *4 キーワードを見つけ出した。これはおそらくカッチャーリの手引きではなく、ノーノ独自の発見である。1987年10月にパリで初演されたジャベスへのオマージュにノーノが付けたDécouvrir la subversion *5 の表題は、ジャベス1982年の著作『Le petit livre de la subversion hors de soupçon 疑問の余地なき転覆の小さな書』(Éditions Gallimard刊)冒頭近くの一行からの直接の引用である。

Enter en soi-même, c’est découvrir la subversion.

*

To descend into yourself means discovering subversion. *6

 

subversionというのは字面だけみると、70年代半ばまでのもっと表だって政治的だった頃のノーノを彷彿とさせる、ある意味キナ臭い言葉だ。Découvrir la subversonの冒頭でナレーターが最初に口にするのも、La révolte(反乱)といういっけん不穏な語である。これはジャベスの『転覆の小さな書』原書p.18からの引用。

La révolte d’une ombre précipite la venue de la lumière, comme l’illisibité, dressée contre elle-même, nous prépare à la lisibilité parfaite.

*

The revolt of a shadow hastens the coming of light, just as the illegible, at war with itself, prepares us for the perfect reading.

もっともそのLa révolteは、かつてのような勇ましいシュプレヒコールではなく、ほとんど聞き取れないほどのひそひそ声で囁かれる。「転覆・革命が最高に達する瞬間としての沈黙」、1987年の来日時の講演のなかでノーノはそう言っていた。 *7 ナレーターのあの囁き声は、ノーノのなかで革命の質が変化を遂げたことのなによりの証左である。

 

ノーノが発見したsubversionの語を鞄に詰めて足早にジャベスの砂漠を後にし、ヴェネツィアへと赴くことにしよう。一面の砂の世界から水と石の織り成す群島の世界へ。「あらゆる革命を愛する(ドキュメンタリー映画 A Trail on the Water(邦題『海の航跡』のなかでのクラウディオ・アバド談)」ノーノは、さまざまな地域、さまざまな時代の革命のありかたを模索した遍歴の末に、ああ灯台下暗し、故郷ヴェネツィアの水に革命の究極の流儀を見出したのではないか。アックア・アルタ。ひたひたと音もなく嵩を増し、いつしか護岸を乗り越え、街路を浸し、広場を覆い、屋内に忍び込み、数時間にして街の光景を一変させてしまう、あのアドリア海の水のようにひそやかな転覆・反乱・革命の可能性。ノーノはそれをヴェネツィアの「魔術」と呼んでいる。

 

ヴェネツィアの石

ヴェネツィアは、私たちが何世紀にもわたって慣らされてきた、音の伝達と聴取の専制的なシステムとはまったく対蹠的な、音響のマルチバースです。しかし日常の生も、そのより「自然な」次元では、私たちのより意識的な知覚――いくつかの基本的な次元だけを選択してその他のものはすべて排してしまっているような知覚――に対抗する可能性を保持しています。私たちがオペラやコンサートに行って、制限された聴取の環境や次元を享受しているときも、この別のマルチバースの経験は、「自然に、また同時に」続いているのです…ですから、「自然の」より大きな豊かさを呼びさますことが、差し迫った必要とされているのです。 *8

 

「確かに群島には固有性を持った <しま> が確固として存在することが前提になっています」 *9磯崎新が言うとおり、群島と呼ばれる空間には、海を満たしている絶え間なく揺れ動く海水や砂漠を覆っている吹けば飛ぶような砂粒とは根本的に性質の異なる、揺るぎない確かな形をもった「特性のある陸地」がそこここに打ち込まれている。ただし同じ島でもヴェネツィアの島々は人工島であるから、四大元素の土に相当する役割をかの地で担っているのは、ノーノが言うとおり石である。 *10 群島ヴェネツィアの基本元素たる石――そのなかでももっとも名高い石である、サン・マルコ寺院の石に関するノーノの新旧の発言を比較することからはじめよう。

 

まずは1959年、ダルムシュタットで行われた講演『今日の音楽における歴史的存在』の一節。 

ヴェネツィア人もその勢力拡大の最盛期にはコラージュを好んでいました。自分たちの街の建築物を、よその国の人々から勝ち取ったさまざまな戦利品の継ぎ接ぎで飾り立てるということをやったのです。ですがこの種のコラージュには、自身の本性を否定することなく提示するという倫理的な意義があります。サン・マルコでは、明らかに他の文化圏に由来するものである石(などの物)が、戦利品と戦争の犠牲によってまさに特徴づけられる歴史の一時代を証言する確たる役を担っています。 *11

 

それから約30年後の1988年に北ドイツ放送が制作したドキュメンタリー映画のなかで、ノーノがサン・マルコ寺院の壁面を前にして語った言葉。 

このサンマルコの壁の上には、モチーフの不断の再開があります。空間は常に新たな空間へ向けて開かれている。確立された権威はどこにもありません。これはまさにヴェネツィア特有の空間です。これらの大理石の壁の上ではすべてが異なっている。その上を人はあるものから別のものへと、ある層から、ある色彩から、ある形態から次のものへと、真に創造的なイマジネーションをもって跳躍することができます。ここでは現実と非現実の境界がぼやけていく。ここではいかなる消費も可能ではありません、観光客による消費であれ、大衆による消費であれ。この絶えず更新される質が、この魔術的にして魅力的な、音の、ざわめきの、色の、石のおおいなる非現実性がヴェネツィアの建築を構成しています。これらの形や面は、それがどのように眼や耳を捉えるかに応じて不断に変化する。これらの石は鳴り響き、我々に何かを聞かせる、ヴェネツィアならではのある種の共鳴を、こだまを放つのです――とりわけ人がそこに隠れた音源を、周囲を囲むようにしてなんらかの仕方で配列された、波立つ水面の反射と同様の残響効果をもたらす架空のスピーカーのようなものを想像する時には。これらの石と大理石の板を介して、閉鎖的なコンサートホールにおけるのとは全く異なる音をコンポジションは得るのです。 *12

 

80年代のある日、ラッヘンマンとノーノがヴェネツィアの通りを散歩していたとき、ノーノはとある街角で立ち止まると目の前の舗石を指さしてこう言った、「この石をよく見てごらん、そうしたら全てを理解することができるだろう」。この時期のノーノは、サン・マルコ寺院に古の世界各地から運び込まれた石の布置の妙に魅せられ、寺院前の石造りのアーケードをあらゆる角度から写真に収めたりもしていた。ラッヘンマンもまた、25年前にノーノが語っていたことを思い出す。あの1959年の講演のなかでノーノは同じサン・マルコの石を、搾取された国々からの戦利品でおのれを飾り立てる帝国主義の象徴的事例として取り上げていた。態度の変化?疑いなくそうだ。だがこれはUターンではない、思考の拡張と新たな方向づけであって、ノーノのなかで自身の意見を常に再考する用意があることの表れである、そうラッヘンマンは前向きに評している。 *13

 

ではその態度の変化をノーノに促した契機はなんだったのか。

 

ヴェネツィアは私にとって耐えがたい街だった」という、びっくりするくらい辛辣な批評からはじまる発言でノーノは言っている、私はヴェネツィアの「石を聞く」すべを学んだのだと。Guai ai gelidi mostriの初演を控えた1983年10月のインタビュー *14 のなかでのことである。

ヴェネツィアはそのある種きわめて順応主義的な性格のため、私にとって耐えがたい街でした。ヴェネツィア人の気質というものがあって、それはヴェネツィアの歴史に、すなわちその挑戦に、真っ向から対立するものなのです。ヴェネツィアの不断の挑戦に拮抗する気質です。 *15

「挑戦とは?例を挙げてくれませんか?」と促されたノーノはこう続ける。

白い石です。白い石を、見るだけでなく聞くこと。これは私がマッシモ・カッチャーリから受けた教えです。それ自体で閉じた単位ではなく、相互に結びついているありかた。島々。あり得べきさまざまな経路。ヴェーベルン。石を、赤い煉瓦を聞くこと。暗闇を聞くこと。空が石と煉瓦と水の被造物であるようにして聞くこと。見えないものを見、聞こえないものを聞くすべを知ること。可聴性、可視性のもっとも微細な段階に達すること。

そして翌84年のインタビューでノーノはうちあけている、「私は自分がまったく拒絶していたヴェネツィアといまでは和解しました。ですがこの拒絶は、そこにいるいくらかの凡庸な住人たちの精神性に対してのものです。石や色彩や水や鐘楼に対して向けられたものではありません」。 *16

 

以上の話の内容を額面どおりに受け取るならば、ノーノは1970年代後半からひときわ緊密になったカッチャーリとの交流を通じて、それまで「まったく拒絶していた耐え難い街」ヴェネツィアをカッチャーリの言う「群島」のモデルとして再発見したのだ、ということになりそうだ――が、気をつけなくてはいけない、これはノーノの言葉のそこかしこに転がっているある種の石、躓きの石である。ここ数年ノーノの各種発言をアレコレと読み漁ってきた経験から言うと、80年代のノーノはオブラートにくるんだ物言いならぬ、カッチャーリのクリスピーな語彙(語衣)にくるんだ物言いをするのであって、その言葉を噛みしめたときにジュワ~ッと滲み出してくる中身は、表面を覆っているサクサクした衣とは多分に性格の異なるなにかなのである。カッチャーリがノーノの後半生に多大な影響を及ぼしたことはなんら疑う余地がないが、その影響とはすこぶる強力な触媒に似た性質のものだったのではないかと思う。酵素と、酵素のはたらきによって産みだされる最終産物とはあくまで別物だ。

*1:Nils Röller (1995). Vorwort. In: Edmond Jabès, Luigi Nono, and Massimo Cacciari. Migranten, edited by Nils Röller. Berlin: Merve: 7-17, p. 11.

*2:Nuria Shoenberg Nono (2014). Per Luigi Nono Dediche (For Luigi Nono Dedications). Venezia: Fondazione Archivio Luigi Nono ONLUS, p. 60-61.

*3:Röller (1995), p. 11.

*4:Röller (1995), p. 10.

*5:Découvrir la subversionについてのネットで読める論文として、Francisco Deco (2014). Edmond Jabès y Luigi Nono: Découvrir la subversion. [pdf]

*6:英訳はRosmarie WaldropによるStanford University Press刊のThe Little Book of Unsuspected Subversion (1996) より

*7:ノーノ「現代音楽の詩と思想」、村松真理子訳、『現代音楽のポリティックス』、水声社、104頁

*8:Conversazione tra Luigi Nono e Massimo Cacciari raccolta da Michele Bertaggia (1984).

*9:磯崎新・新保淳乃・阿部真弓『磯崎新の建築・美術をめぐる10の事件簿』、TOTO出版、283頁

*10:Luigi Nono (2015). Äußerungen zu Venedig 1957-1990. In: Geiger, F. & Janke, A. (eds.) Venedig - Luigi Nono und die komponierte Stadt. Münster: Waxmann: 185-226, p. 224.

*11:Luigi Nono (1959). Presenza storica nella musica d’oggi.

*12:Nono (2015), p. 223-224.

*13:Helmut Lachenmann (1999). Touched by Nono. Contemporary Music Review 18 (1): 17-30.

*14:Luigi Nono (1983). “Ascoltare le pietre bianche”. I suoni della politica e degli oggetti muti.

*15:Nono (2015), p. 201.

*16:Nono (2015), p. 207.