アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの後篇の前篇 4/5

1112d 産出する空虚

「別の状態」へのムージルの思いいれにはひとかたならぬものがある。ならば未完に終わった『特性のない男』のなかで、別の状態こそが究極的な到達点となるはずだったのかというと、どうやらそうではないという説の方が有力のようである。大川勇は、『特性のない男』第三部の白眉と目される「夏の日の息吹」の、千年王国の顕現ともみえる清澄な庭の情景に巣食う死の翳を読み解いたうえで、ウルリヒによるさまざまなユートピアの探求の試みが妹アガーテとの再会以降、「別の状態」という単一のユートピアへと収斂していったその涯で、「水晶のように純粋な永遠の出来事」でみたされた千年王国ユートピアはもはやなにごとも起こらない死の静止状態が領する反ユートピアへと「水晶のように」凝固してしまっているのであり、失われた可能性感覚をいまいちど取り戻すために、兄妹は千年王国の呪縛圏を逃れなければならない、そうしてこの水晶の凝結を解かねばならないだろうとしている。 *1

 

千年王国の海のヴィジョンを語るウルリヒの台詞をカッチャーリが引用する際に力点を置いているのも、やはり同じ「水晶」という語である。ところがカッチャーリはこの語を、「水晶のように純粋な出来事がその海から絶え間なく発出してくる」といった意味で読んでいる。カッチャーリによれば、千年王国の海はただの空虚ではなく、そこから「言葉、記憶、リズムが絶えず産まれ出る、おおいなる無」 *2 なのである、「それは、産出する空虚である。しかし、その語の生産、建設という意味において、そうであるわけではない。空虚からあふれ出るもろもろの偶然は、聞き取られるもろもろの形と同様、進化―進歩の階梯にそって序列化されるわけではない。そうした階梯にしたがうなら、あるものは他のものを補完したり、他のものの意味、運命を表現したりするのであるが。あらゆる音はユニークであり、反復不可能である」 。 *3 一様な時の継続を、反復不可能であるがゆえに永遠であるユニークな瞬間からなるundefinable multiplicity of moments *4 へと結晶化させる力をその海は孕んでいるということである。「そこでは物と名の音がもはや流れることなく、継起する次の音のために生まれることもない」。 *5 「噴水の水が涯しなく水盤に落ちこむように、すべてが不断にあたらしい輪になって拡がっ」 *6 ていくのだ。

 

ムージルの海がユニークな出来事を不断に産出する空虚であるということ、これによって、ユニークさ/細部性の次元と純粋性の次元とは、前者が後者から発出したものであるという、ひとつの簡明な関係で結ばれることになる。カッチャーリによるPrometeoについての小論のなかには、この点を端的に示した次のような行がある。

ノーノの『プロメテオ』はわれわれを聴くことへと誘う。その声の、その音の還元不可能な唯一性に耳を傾けること、しかしそれだけでなく、その音の聴こえない起源にも耳を傾けること。というのは、すべての表現が産まれるのはそこからだからである。 *7

これは、ノーノの音楽のヴェーベルン的な解釈でもある。カッチャーリのウィーン文化論集『シュタインホーフから』では、世紀転換期ウィーンの音楽における「明晰さ」の事例として、ベルクの合成の原理とヴェーベルンの反復不可能性の原理が対比されているのだが、いまPrometeoについての記述として引用した内容は、後者の原理とほぼ同じものといって過言でない。『シュタインホーフから』の引用をいくつかつなぎ合わせて合成していくと、ヴェーベルン的な断片についての、ほぼ同じ内容だがより詳しい次のような説明文ができあがる。

ヴェーベルンの断片はその各々が反復不可能で唯一の偶然の小宇宙をなす。楽句は、発作へと短縮され、インターヴァルによって区切られ、ユニークさのもとで孤立させられている。 短さと絶対的な明晰さの原理は、語りうるものの素材を前代未聞の緊張のただ一点のうちに集中させる。偶然は反復不可能であるがゆえに、またユニークさのもとにあるあらゆるものは反復不可能で永遠であるがゆえに反復されえない完全に孤立した音が、わたしたちのうちにある沈黙―空虚のなかに打ちこまれる。個別的なものが明晰さをもって見られ、自己のうちなる空虚の最大限の集中のもとで聞き取られるとき、それはすべてである。このようにして見うるものを明晰に見、語ることができるとき、見うるものを包含する空虚、見うるものを構成する沈黙の背景が、みずからを提示する。ヴェーベルンの反復不可能な断片はその沈黙から、言葉が担うことのできないその沈黙から、水晶の純粋さをもって発出する。 *8

最後に出てくる「水晶の純粋さ」という語句の出典こそは、ウルリヒの語った例の言葉である。

 

もう一つの明晰さであるベルクの合成の原理とはいかなるものか。二つの原理を簡潔に比較した一節をまず引用しよう。「ヴェーベルン的な禁欲が、断片を小宇宙にし、反復不可能な唯一性にする。たしかに、いかなる唯一性も全体の解消となることはできないが、それでも、それ自体で完全であり、両義的ではない。反対に、ベルクの哀悼劇の深淵は、この同じ断片、断片の同じ内部構造を、とどめようのない変身の途上においてとらえる」。 *9 合成(コンポジション)の原理とは、「世界を偶然のものの全体、生起するものの全体として『包括する』こと」 *10 である。 世界が偶然というものであること、根拠をもたないこと、それはつまり、世界が偶然の事実という多様な断片の散在する多島海のごときものだということである。「還元不可能なしかたで多様である」 *11 これらの断片を「みずからのうちに溶解してしまうことのできる〈解答〉はない」。 *12 解決へと発展する途を絶たれた断片は、限界づけられた事実の空間の中で、その差異を保ちつつひたすら合成されていく。1986年以降のノーノのモットーである、Caminantes, no hay caminos, hay que caminarという文句を踏まえて言うならば、解決という家に通じる発展の道はない、だが絶望して蹲ることなく進まなければらない。道はどこかある場所から、別のどこかある場所に通じるばかりである。それでも、この限界の内部で、あらゆる可能な道を経巡る終わりのない流亡の旅をやりぬくこと、それがベルクの属する合成の原理である。進まなければらないのは、このように徹底して「限界を画定することなしには、明晰さも理解可能性もない」 *13 からである。「等―価性(equi-valenza)の言語は、それの諸前提ごと、徹底的に引き受けられ、問い求められることによって、語りえないものの問題と語りえないものの自己提示の問題に向かって開かれる」。 *14 コンポジションは、コンポジションのやりかたで語りうるものを明晰に語りきる。そのことによって、ここでもまた、語りえぬもの――言葉が担うことのできないあの沈黙を、「示す」という可能性に向けて開かれるのである。

 

カッチャーリは、千年王国の探求を中心主題に据えた『特性のない男』第三部のことも、「コンポジション」と称んでいる。愛の千年王国をめぐる兄妹の会話はいつ果てるとも知れないが、まさにその終わりのなさにこそ、「コンポジション」としての可能性をみいだそうということである。「自己のうちに空虚をうがつゆっくりとした錬金作業」 *15 である兄妹の聖なる対話によって肉体的なものがかすかになると、それまで肉体の牢獄に幽閉されていた魂の想像力が解き放たれる。「錬金作業」という言葉からうかがえるように、カッチャーリがここで喚び起こしてくるのは、パラケルススフィチーノといったルネサンス期の神秘思想の鉱脈である。「この世の肉体が着想することのできないもの(イメージ)を着想することのできる、魂の想像の力」 *16 をもたらすのは、パラケルススによると、「星と魂のあいだの共鳴」であり、「イメージとは、星と一緒に創作すること」 *17 である。「所有し獲得する自我」に対するたんなる批判の領域へと二人の会話を引き戻そうとする新たな抵抗に絶えず出会いながらも、いまやより澄みきったものとなった魂の鏡は星のまたたく上なる天からもたらされる無尽蔵なイメージの断片を、大気のような、火のような無数のひらめきとして映し出していく。「この影と光の解決のない戦いの引き起こす変化は押し留めようがない」。 *18 兄妹の会話が千年王国の顕現という解決をもたらすことはないが、それでもその不断の変容において、ウルリヒのいう「神のみるさまざまな夢」をみることができる。夢の遍歴には終わりがなく、可能性が汲み尽くされることはない――"Hay que caminar" soñando。

*1:大川勇『可能性感覚』、松籟社、2003年

*2:Luigi Nono/Massimo Cacciari (1985). Guai ai gelidi mostri: A propos des textes [link]

*3:カッチャーリ「弓道」、廣石正和訳、『批評空間』第II期25号

*4:Massimo Cacciari (1979) . Profane attention. (『Dallo Steinhof』英訳版に収録)

*5:カッチャーリ『必要なる天使』、柱本元彦訳、人文書院、128頁

*6:ムージル『特性のない男 1(新潮社版)』より「少佐の妻との忘れられた、ことのほか重要な物語」

*7:Massimo Cacciari. L'étroite bande de terre. [pdf]

*8:カッチャーリ「弓道」の引用から合成。一部語句を補う。

*9:カッチャーリ「動物小屋へいらっしゃい」、廣石正和訳、『批評空間』第II期18号

*10:同上

*11:カッチャーリ「音楽、声、歌詞」、廣石正和訳、『批評空間』第II期18号

*12:同上

*13:同上

*14:カッチャーリ「動物小屋へいらっしゃい」、廣石正和訳、『批評空間』第II期18号

*15:カッチャーリ「奇妙で驚異的な出来事」、廣石正和訳、『批評空間』第II期19号

*16:同上

*17:同上

*18:同上