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アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

ドナウ・ノートの後篇の後篇、および峠の茶屋

Post-prae-ludium per Donau

Post-prae-ludium per Donauについてのノートは、各論のあいだに後期ノーノ全般についての総論が2回挟まる構成になっている。

 

ドナウのための後-前-奏曲のためのノート

各論1 00m00s-07m00s

総論1 07m00s-07m53s

各論2 07m53s-11m12s

総論2 11m12s

各論3 11m12s-演奏終了

 

ところが「総論2」が思いのほか長くなり、いつまでたっても終わる目処がたたないという状況である。もはやPost-prae-ludiumのノートに組み込む必然性もなくなってきたので、「総論2」のつづきは別のもの(表題=『ブルーノーノ』)として分離することにした。

 

各論1 00m00s-07m00s

総論1 07m00s-07m53s

各論2 07m53s-11m12s

総論2 11m12s →分離→ 『ブルーノーノ』

各論3 11m12s-演奏終了

 

各論のほうは、11m12sから演奏終了までのワンステップを残すのみなので、先にこちらを終わらせることにする。

 

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの後篇の後篇

これはPost-prae-ludium per Donauの演奏開始後7分53秒から演奏終了までに起きた出来事についてのノートの後篇の、後篇である。

 

1112- azzurro silenzio 沈黙の海へ

11m12sの子午線を跨ぐと、傾く日差しとともに物の影が復活するかのように、多様な音の断片が再度析出をはじめる。だがこれらの断片も、これまでがそうであったように、やがては形のない空虚な拡がりに融けこんで消え去る運命にある。07m00s-07m53sの空虚、11m12sの空虚に次ぐ第三にして最後の空虚は沈黙である。

 

07m00s-07m53sの持続音を除くと、チューバ奏者はほとんど常にきれっぱしのような音しか発していないにも拘わらず、この音楽のなかで沈黙を聴く機会はごく限られている。これはひとえにライヴ・エレクトロニクスのはたらきに拠るものである。ノートの前篇3/4-4/4でみたとおり、ライヴ・エレクトロニクスは音の解体装置としての性質をもっているが、岩成達也が書いているとおり、解体という作業には、「拡がりを崩していく過程と、拡がりを分泌させそれをひき延ばしていく過程」*1 の二重の側面がある。解体されていくものは、巨視的レベルの顕著な構造や脈絡を奪われ、より微視的な細部の輝きを途上において放ちつつも、最終的には薄暗い不分明のほうへと徐々に没していくその半面で、総容積の点では押しなべて巨大化へ向かう傾向を示すというわけだ。ヴェーベルンの音楽が属する原理を、カッチャーリは「短さと絶対的な明晰さの原理」と称んでいたが、ライヴ・エレクトロニクスは、少なくとも「短さ」に対しては拮抗的にはたらくことが多い装置である。マイクロフォンから取り込まれて電気信号に変換された音は往々にして、機械のなかでポップコーンか綿あめのように膨張していく。各種の音響処理を経てスピーカーから再び出力される頃には、元の大きさの数倍にまで嵩を増していることも珍しくない。それは沈黙が音に置き換えられたことを意味するわけだから、ライヴ・エレクトロニクスというものは音をおのずと饒舌にさせる仕組みだということもできよう。

 

Omaggio a György Kurtágのように、ライヴ・エレクトロニクスが要所でパッチ状に適用されている作品とは異なり、Post-prae-ludium per Donauのライヴ・エレクトロニクスは、演奏開始直後から終了直前まで休みなく稼動するのを特徴とする。ここでは三種類の音響処理の語彙が主に用いられる、すなわち、ディレイとフィードバックとリバーブ。演奏時間全体の半分ほどの割合で稼動しているディレイは、演奏音に対して4つのディレイを生成する仕様になっているので、出力される音は単純計算でもとの容量の4倍に膨れあがることになる。もっとも、演奏開始から04m40sまでは、エレクトロニクスの入出力レベルが任意のタイミングで調整されるため、この間の膨張率は期待値より低くなるが、その一方で、フィードバックの作用によるとめどない音の分裂増殖期も、04m30s~07m00sと10m00s~12m15sの二度にわたって訪れる。時間にすると全体の8割以上の音にかけられているリバーブは、単純明快に個々の音の容積を増大させる直截的効果をもつ。カルメ焼きにおける重曹のような働きを音に対して発揮するこの御三家の活躍によって、Post-prae-ludium per Donauの沈黙は、演奏音に由来する何かしらの音の気配を感じることができないような時間を見つけるのが難しいほどの、まことに容赦ない侵蝕を受けることになる。

 

したがって、音を沈黙へと向き合わせるためには、何はともあれライヴ・エレクトロニクスのおしゃべりを止めさせなくてはならない。11m12sを過ぎてもライヴ・エレクトロニクスはなおf1音の夢のなかを生きている。音響加工機器への入力は11m12sの時点で直ちに遮断されるため、ライヴ・エレクトロニクスはこれ以降新たな音を聞く耳を失って、10m00sから11m12sまでの72秒間に捕捉されたf1音だけを、ディレイとフィードバックによってひたすら反芻し続けるのだ。接近を試みたものの、ついにそこに完全に融け入ることは叶わなかったようにみえるf1音の空を、遠ざかる永遠の後ろ姿のように展げてみせること。それがライヴ・エレクトロニクスに託された最後の仕事である。だがそれもそう長くは続かない。ライヴ・エレクトロニクスの出力が衰えるにしたがって、f1の持続音の空も閉じられてゆく。12m15sの時点でライヴ・エレクトロニクスは完全に活動を停止する。空虚への音の浸みだしが途絶え、ここに到ってはじめて、沈黙の大海原が聴衆の視界に浮上してくる。ひとしきりいくつかの音の断片が、チューバ奏者によって散発的に空間へ放たれていくが、それらもやがては nel nulla *2 無のなかへとallontanandosi *3 遠ざかり、消えていく。終わりの時間は正確には定められていないが、通常の演奏であれば、ライヴ・エレクトロニクスが沈黙してから約1分後、したがって、13分台のいずれかの時点になるだろう。これまでに出た6種類の録音の演奏時間は以下のとおりである。

  • RICORDI/Stradivarius 13:38
  • ARTIS 13:37
  • col legno 13:17
  • ARS HARMONICA 12:43
  • NEOS 13:39
  • WERGO 13:52

演奏時間が最も長いWERGO盤では、最初のセクションが楽譜の指定より30秒ほど長いため、それにしたがってその後のイベントの発生するタイミングもすべて30秒ほど後ろにずれている。

 

*********

 

スピンオフする「総論2」のつづきは『ブルーノーノ』という表題であるが、その第一義的な意味は、「ジョルダーノ・ブルーノの思想をとおしてみたノーノ」ということである。これは言ってみれば、カッチャーリからブルーノへのバディの交代である。後期のノーノについてある程度まとまったことを書こうとするとき、そこでカッチャーリの名前をまったく出さないのは非常に難しいというくらい、切っても切れない関係にあるノーノとカッチャーリ。二人の交流の軌跡を、ノーノとブルーノのつながりへと視点を移す前に、いちど簡単に整理しておこうと思う。

 

分水嶺

ノーノとカッチャーリの関係についてカッチャーリ自身があるインタビュー*4 のなかで証言しているところによると、二人の出会いは1960年代の半ば、イタリア語訳のアンソロジーに収録されていたヴァルター・ベンヤミンに衝撃を受けたカッチャーリが、友人とともに『新しい天使』という雑誌をたちあげるにあたって、「イタリア共産党を代表する知識人のひとり」であったノーノの意見を聞きにいったときにまで遡る。正統派マルクス主義の圏内にとどまっていたその当時のノーノば、ベンヤミンにさしたる関心を示すことはなかったそうだが、それでも二人のやりとりはルカーチについての議論などを通してその後も継続し、1970年代の初めまでには、カッチャーリにとっても、ノーノとの対話を自身の仕事と切り離して考えることができないというほどに互いのつながりは深まっていく。

 

1975年のAl gran sole carido d'amore初演後にノーノが新しい方向を模索していた時期は、カッチャーリが19世紀末から20世紀初頭にかけてのウィーン文化全般を「否定の思考」によって再検討する新たなテーマに取り組みはじめた時期にあたる。この頃の二人の交流は双方向的なものであった。カッチャーリがノーノの手引きのもとにワーグナーマーラーシェーンベルクヴェーベルンらの音楽を再発見するいっぽう、ノーノはカッチャーリに教えられたウィーンやドイツの著述家たちの本を読んで、伝統的なマルクス主義の立場とは相容れないかれらの思想に対する不寛容を乗り越えていく。カッチャーリによると、最後まで残っていたノーノの不信感を氷解させたのはニーチェの読書体験だったそうだ。カッチャーリの関心領域にノーノが心を開くようになったことで、これ以降両者の結びつきはいっそう密接なものになっていく。ともに本を読み、音楽を聴き、議論を交わす日々。そのなかからPrometeoという巨大な作品の構想が芽生えたのは1975年夏ごろのことであった。Al gran sole carido d'amoreの後、Prometeoに到るまでのノーノの作品は、それこそ全てがPrometeoのしるしの下に置かれていた、そうカッチャーリは回想している。

 

70年代半ば以降のノーノの一大転回にカッチャーリがなくてはならない存在であったことは、以上の経緯を見ても明らかだと思われるが、その半面で、おおよそ15年ほどにわたる後期のうち、二人がユニットを組んでいた時期は、じつは一時期に限られているということもここで確認しておきたい。

 

私見では、後期ノーノはさらに三期に分割される。第一期は、前・中期からの過渡期とみなされる...sofferte onde serene... (1976)、Con Luigi Dallapiccola (1979) の二作品。 その直後のFragmente - Stille, An Diotima (1980) とDas atmende Klaesein (1980/83) のブレイクスルーから、Prometeo (1981/85) に到るまでの第二期が、カッチャーリとの直接的な共同制作の期間である。

 

『エクスムジカ』第6号に載っているインタビュー *5 のなかで、たしかカッチャーリは、ノーノとの仕事はある時点でやめたという旨のことを語っていたと記憶している(十年近く前に一度立ち読みしたきりで、いま手元に本がないので正確な引用はできない)。 やめたといっても、もちろん二人の関係自体が終わりを迎えたということではなく、Prometeoをもって音楽の共同制作に区切りをつけたということである。おそらく、ほぼ十年来の目標であったあの畢竟の大作の初演をもって、やるべきことはやり尽くしたということだったのだろう。

 

追記。『エクスムジカ』第6号をようやく入手。該当部分を引用。「ところで、ノーノ以外の作曲家にテクストを作成するということはないのですか?」「考えたこともありません(笑)。友人同士のたまたまのコラボレーションでした。スペインのソテロやイタリアのファビオ・ヴァッキには頼まれたことはありますが、やろうとは思いません。ノーノとのコラボレーションも、あるときにやめたわけですし。続けていこうとも思いませんでした。マンネリ化することを恐れました」

 

したがってPrometeo後の第三期は、いわばノーノが再びソロ活動をしていた時期にあたる。この間に初演された、

  • Risonanze erranti (1986/87)
  • Caminantes...Ayacuho (1987)
  • Découvrir la subversion (1987)

あるいは構想段階にあった、

  • Manfred *6
  • Post-prae-ludium Stammheim *7
  • Mondrian *8

などの、テキストを伴う作品に関しては、テキストの選択、編纂、さらには音楽化する語の選択や配列といったことを、おそらくノーノ自身が行っていたはずである。

*1:岩成達也『中型製氷器についての連続するメモ』、書肆山田、118頁

*2:Post-prae-ludium per Donauについてのノーノの自註より

*3:同上

*4:Massimo Cacciari & Marco Biraghi. In conversation with Massimo Cacciari.

*5:「マッシモ・カッチャーリ氏へのインタヴュー」、『エクスムジカ』第6号、2002年

*6:Manfredはバイロンの戯曲『マンフレッド』を主たるテキストに据えた声楽作品(Prometeoの前半部には、シューマンの『マンフレッド序曲』冒頭の三回の連打がリズム動機風に引用されている)。バイロンのほかにも、Herman MelvilleIngeborg BachmannFederico García LorcaRobert WalserHeiner MüllerSefer Yetzirahらの多彩なテキストを取り入れる腹案があったもよう

*7:Post-prae-ludium Stammheimについては別のところに記した。

*8:Mondrianは弦楽四重奏曲第2番だが、一人か二人の歌手を伴い、エドモン・ジャベスのテキストを使用する構想があった由。