アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

断ち切られない歌 中篇の上 9/9

流れ去るもの、固定されたもの、漂うもの

sospesoやsospensioneの語を、ここまでに特に断りなく「浮かぶ」だとか「漂う」の意味で読んできた。「音が漂う」とはしかしどういうことだろうか?御存知のとおり、音は標準的な大気中を秒速約340m、時速にすれば1200km以上の、人間的尺度からすればとんでもない高速で伝播していく波である。その速度自体を顕著に遅くさせるなどということは不可能事であって、その点からみれば音は決して漂うことがない。可能なのは、ジェット機を上回るほどのいきおいで音が疾駆しているにも拘わらず、あたかもそれがクラゲのようにふわふわ空間を浮遊しているかのような錯覚を起こさせることだけである。反射の性質を利用して、音が休むことなく動き回りつつも同じ空間にとどまる状況をつくりだしてやった時に、その錯覚が生まれる。

 

音を空間に漂わせるためには不可欠である反射を、ではいかにして発生させるか――ノーノの空間はひとえにこの要請にしたがって設計されている。たとえそこに壁や囲いのようにみえる物体があったからといって、何かを捕まえて閉じ込めるための構造物だと勘違いしてはいけない。制約がないかぎり一方向に流れ去ろうとする強い性向を宿している音を漂うものに変えるための大前提である、多数回にわたる複雑な反射をひき起こす反射面として、それらのものはそこに存在しているのだからである。

 

Prometeoの船のことを思い出してみよう。たしかに人はそれをarca=箱船だと呼んでいるし、おおまかな外形だけみれば箱船風ではあるが、この穴ボコだらけの船に、選ばれし者を外なる脅威から安全に隔離する密室としての機能はまったく具わっていない。もともとそういう目的のためにデザインされていないからである。この船の側面が、着脱可能の小さな板を何枚もはめ込むつくりになっているのは、板をはめる位置をいろいろに変更したり、場合によっては、音を反射せず吸収する布を板に代わって張ることにより、空間を伝わる音の屈折の度合いを可塑的に調節するためである。車の形をした消しゴムが乗り物ではなく、書いたものを消すための道具だというのと同じ意味で、レンゾ・ピアノの船は「箱船の形をした反響板」なのである。

 

高橋悠治との対談のなかでノーノが語った、「私は空間を所有するのではなく響かせたいのだ」 *1 という言葉も、この観点からみればよく理解できる。ノーノが言おうとしていることはつまりこういうことである――「私は流れ去るものをfisso=固定されたものにはしたくない、ただそれを、sospeso=漂うものにしたいのだ」。

 

わたしのもとから不可逆的に流れ去っていこうとするものにどう対峙するかという、音だけでなく、時間に、記憶に、あらゆることにつきまとう普遍的テーマがある。この問題に対するもっとも直接的で分りやすい対処法は、流れを止めて固定してしまえ、という考え方だろう。人間の発明した人工的な記憶媒体は、基本的にみなこの思想に沿ってつくられていると言ってよい。たとえば音楽のCDは、ある時ある場所に流れていた、本来なら一回限りで過ぎ去ってしまうはずの音を捕まえて、いつでもどこでも何度でも、同じように取り出すことのできる「わたしの所有物」に変える、音の、時間の、記憶の固定装置である。しかしノーノにとってこの種の固定化の作業は、生きていた過去を二度と変化することのないホルマリン漬けの標本にしてしまうことと同義であり、流れ去るものをただなすすべなく見送るよりもむしろいっそう性質の悪いやり方なのである。

 

それに代わってノーノが採ったのが、流れ去るものを漂うものに変えるという方法であった。流れを止めるのではなく、別の流れ方へと変えるということである。単に動きが一方向的ではなくなったというだけで、漂うものは相変わらず動いている、動いている以上はかたちもだんだんと変わっていくし、他のものと混ざり合いもする。そうして常に動きと変化のなかにありながら、しかしそれでもなお、過ぎ去ったものの面影がそこになにかしら残存している。その意味でこれも一種の記憶である。こだま(反響)、リバーブ(残響)、あるいは余韻といった言葉はいずれも、この動的な記憶に与えられた呼び名である。こだまや残響という現象の起源はCDや本や石版などより遥かに古いのであるから、ノーノのやり方をさも特殊なことのようにみるのは的外れというものだ。特殊どころかそれは、何十億年も前から洞窟や、谷あいや、世界中のいたるところで続いている由緒正しい記憶のしくみの継承なのである。

 

そもそも生命の記憶の原理はfissoか、それともsospesoだろうか。断然後者だと思う。生命の、などと大上段に構えてみたが、私がその実態をよく知っている生命の記憶といえば私自身の記憶だけなので、これはもっぱら私の個人的体験からくる推測である。私は私の記憶が固定されたものだという印象をもったことが全くない。私の記憶は水のように動き、混ざり合い、時とともに変化する。それが常態である。特定の日時の記憶を脳から抽出してハードディスクに保存するなんて話がよくSFに出てくるが、私のなかの記憶があのように単離可能なかたちで保存されているとは到底信じられない。昔住んだことのあるいくつかの街の情景がcon-fusioneしている、夢の世界の地理がよい反証である。私の記憶のなかの映像は写真のように1枚、2枚と数えることができない。私の記憶のなかで鳴っているなべての音は、揺らめく輪郭のsuono mobileである。これらはいずれも、CDやカメラ、DVD、本、ハードディスクなどの固定装置とはまったく異なる流儀で私がものごとを記憶していることを示す証左である。で、その私的経験を全地球規模にあっさり一般化して言うと、生きているものたちの記憶とは、この地上で他に並び立つもののない卓越した反響体のなかで、あるいはまわりで響きつづける、長い長いこだまのようなものなのだろうと思う。生命の存在するところで、もろもろの流れは、音であれ時間であれ、停止することも断ち切られることもなく、ただ幾重にも屈曲していくのである。地球に生命が誕生する前、この星の時間はたぶん今よりもずっとまっすぐ、さらさらと流れていたのではないだろうか。

 

外側の外側

最後にノーノの空間モデルをジョルダーノ・ブルーノの眼で眺めてみよう。

 

宇宙は広大無辺だ、そしてその宇宙の「なか」には無数の有限物が含まれる、とブルーノは言う。したがって宇宙には、有限物の輪郭をかたどる数々の辺が存在する。広大無辺ということの意味は、それらの種々雑多な辺のなかに、この宇宙そのものを限界づける、その向こう側はもはや無でしかないような究極の辺が存在しない、ということである。

 

ノーノが言う内と外も、だからあくまで相対的な概念である。「外部空間」を囲む縁を、ゆめゆめこの世の果てだなどと思ってはいけない。母空間(ジュデッカ運河)の場合であれば、外部空間のさらに外側には海の中の世界が続いている。レンゾ・ピアノの船を包むサン・ロレンツォ教会の外側は、もちろんヴェネツィアの島と海である。このようにして「事物はつねに事物へとつづき、(…) 無限量の事物をこの世から奪いとり消し去ってしまうような [世界の] 境、終局、縁、壁は存在しない」 *2 のである。

 

Prometeoの制作が大詰めを迎えた頃にとり行われたカッチャーリとの対談を、ノーノはこんな言葉でしめくくっている。 *3

San Lorenzo ha porte e finestre nette e aperte.

サン・ロレンツォは、澄んだ、ひらかれた扉と窓をもっています。

これは単なる比喩的表現ではない、というのも、Prometeoの演奏のあいだ、サン・ロレンツォ教会の正面玄関は実際に開けっ放しになっていたからである。 *4

 

Prometeo世界初演当日の1984年9月25日、ヴェネツィアはアックア・アルタに見舞われていた。その日の午後9時という遅い時間にPrometeoの演奏が開始されたまさにその時、高潮警報のけたたましいサイレンが街中に響きわたり、その音は、開け放たれた玄関をとおって教会のなかに流れ込み、さらに箱船の上部や側面の穴をとおって船のなかに流れ込み、pppppppppppppppp とつづく冒頭の静謐な弦のパッセージをほとんどかき消さんばかりだったという。けれどもノーノは、それを不都合な事態として、演奏をやり直させるようなことはしなかった。「あの判断は素晴らしかった」と、Hans Peter Hallerは振り返っている。 *5

 

ノーノが生み出した個々の作品世界については、個々の地理的特徴をあれこれと云々することもできる。たとえばPrometeoは5つの大きな島を鏤めた多島海だとか、Fragmente - Stille, an Diotimaは、音の島の形がはっきりしていてとりわけ群島的だとか、それがHay que caminarになると海洋化が顕著に進行しているだとか、あるいはNo hay caminos, hay que caminarの7群のオーケストラはこれこれこういう具合にホールに配置されているだとか。それらもろもろの個別的風土のすべてに先立つ、ノーノの全作品に共通の空間構造がある。ノーノの音楽は、常になにかのなかにある、ということである。

 

各々の音楽作品を――たとえそれがPrometeoのような「畢竟の超大作」であろうとも――それ自体で完結した一個の閉じた宇宙にしようなどという考えをノーノは全く抱いていなかった(この論点は、Prometeoの冒頭に(おそらくTre voci aにも)引用されているマーラーの『交響曲第一番』第一楽章の導入部や、Prometeoの結尾にもしかしたら引用されているのかもしれないワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』第三幕についてのノーノの考えを聞けばいっそうはっきりする)。ノーノにとって一曲の音楽とは、その作品世界を丸ごとすっぽりと包み込んでしまう遥かに広大な空間(と時間)の只中に投げ込まれた、文字どおりのささやかなる一片=a piece なのである。島を取り巻く海のざわめきが島のなかにいても聞こえるように、個々の音楽がつくる小さな世界には、外の大きな世界から音が流れ込んでくることがあり得る、いや、そうであるべきである。

 

CDなどの録音媒体で音楽を聞いていると、夏であればセミの声が、秋であればコオロギの声が、風の強い日は風の音が、雨の日には雨音が、海辺であれば潮騒が音楽に混ざりこんでくる。ノーノの音楽が鳴り響く空間が具えていてほしい一番の基本的要素を、CDによる聴取はごく自然に具現化してくれる。いっぽうで、現行のコンサートホールのほとんどが該当する、あのおよそ非ブルーノ的な、決められた枠の外にある空間の全否定によって成り立つ密閉空間は、もっとも根幹の部分において、ノーノの思想と相容れないつくりになっていると言わざるを得ない。サン・ロレンツォ教会を決して通常のコンサートホールのような神経質さで密室化しようとしなかったノーノの選択のうちに込められているのは、「音楽は単独で存在するものではなく、必ずなにかに包まれて存在するものであるはずだ」という強いメッセージである。教会の正面に敢えて残された戸外への開口部は、「ラグーナの、海のうえの、生のシグナル」だとノーノが語った、ヴェネツィアのなかぞらを日々行き交う音の海原にPrometeoの船を浮かべるための、必要不可欠な湾口だったのである。

*

この先の航海は、一個の音楽作品を取り巻く外側の世界を意識することでその存在が仄めかされてくるより広大な海原へと舵を取り進められていくことになる。すなわち、「音楽のなかにひろがる海」から、「個々の作品の枠を超えて横たわるひとつづきの大洋」へ向けて。ただその前に、Risonanze erranti論と銘打ちながらも総論的内容にばかり走って、これまでたまに立ち寄る程度の言及しかしてこなかったRisonanze errantiの海=シャンソンのこだまを、一度正面からじっくり吟味しておくべきだろう。

*1:高橋悠治との対談(『高橋悠治対談選(ちくま学芸文庫)に収録)での発言

*2:ジョルダーノ・ブルーノ『無限、宇宙および諸世界について(岩波文庫)』、清水純一訳、35頁

*3:Conversazione tra Luigi Nono e Massimo Cacciari raccolta da Michele Bertaggia (1984).

*4:Lydia Jeschke (1997). Prometeo: Geschichtskonzeptionen in Luigi Nonos Hörtragödie. Stuttgart: Franz Steiner Verlag, p. 181.

*5:Hans Peter Haller. Luigi Nono „Prometeo“, die letzten sechs Wochen vor der Uraufführung in Venedig. [link]