アンキアライン

ルイジ・ノーノの音楽(主として後期作品)について

第二の脊索 3/3

ジュデッカ運河 ザッテレで生を享け、ジュデッカ島を生活の場とし、再びザッテレで生涯を閉じたノーノにとって、ザッテレとジュデッカ島とのあいだに横たわるジュデッカ運河こそは、まさしく「故郷の海」と呼ぶにふさわしい場所であった。ジュデッカ運河を抜…

ジュデッカ運河 1/2

まず基本的な事柄から。Omaggio a György Kurtágは、1979年にOmaggio a Luigi Nonoというアカペラ合唱曲を書いた作曲家György Kurtágへの返歌として、1983年6月10日にフィレンツェで初演された、アルト独唱、フルート、クラリネット、チューバのための音楽で…

ジュデッカ運河 2/2

ジュデッカ運河の空隙を充たすライヴ・エレクトロニクスの音響は、一般的に次のような機序をとおして発現される。 記銘 まず第一に注目すべき点として、この作品では四人の奏者の演奏音が5つのマイクロフォンで捕捉されるが(フルートのみは歌口と管の末端…

Un unico suono 1/5

Con un suono, si può lavorare forse un’ora. ―― 「ひとつの音でおそらく一時間は作業ができます」 *1 Luigi NonoとMary Jane West-Eberhardの収斂進化 Omaggio a György Kurtágのハラフォンは、一つの音を、3種類の異なる空間的運動へと分化させる。... s…

Un unico suono 2/5

この項はノーノではなく丸ごと進化生物学の話である West-Eberhardがよく言っているように、表現型可塑性は、進化生物学の舞台でかなり長いこと陽の当たらない場所に逐いやられていた不遇の演者であった。 作曲家にすら影響を与えるくらいであるから、DNA二…

Un unico suono 3/5

ノーノ風ゲノミクス Archivio Luigi Nonoが保管しているノーノのスケッチや創作メモをもとに、ノーノの作曲のプロセスを復元しようという試みがこれまでにいくつも行われている。それらを見ていて感じるのは、音やリズムの配列をつくり、それをいろいろに並…

Un unico suono 4/5

2° No hay caminos, hay que caminar.....Andrej Tarkowskij 1987年11月28日に東京はサントリーホールにて初演されたNo hay caminos, hay que caminar.....Andrej Tarkowskijは、御存知のとおり全篇がG音というun unico suonoでつくられた音楽である(un un…

Un unico suono 5/5

音の質 後期のノーノは、音の「質」ということをさかんに口にするようになる。「Qualità, non quantità――量ではなく質」。 *1 「量よりも質」などという台詞は、世界じゅうで合算すれば一日あたり千人以上の人が言っていそうなくらいの陳腐な紋切型に聞こえ…

第三の脊索 1/3

ノーノは音楽を志した最初期の頃から、シェーンベルクやヴェーベルンと並んでダラピッコラのスコアに学び、また、1946年か47年にダラピッコラがマリピエロとともにヴェネツィアのサン・マルコ寺院へと立ち寄った折にあいさつに出向いて以来、長きに亘る親交…

第三の脊索 2/3

破壊的作曲法 作品全体がfa-mi-do#の三音で構成されているとはいっても、Con Luigi Dallapiccolaは打楽器アンサンブルのための音楽なので、使用されている楽器のうち、五線譜上に書き表せるような定まった音高をもつものは限られている。ピッチの正確さとい…

第三の脊索 3/3

水浸しの闇 さてここでちょっとスズメのことを思い浮かべてみましょう。スズメという鳥は、少なくとも東アジアに住んでいる人であれば、おそらく誰の記憶のなかにも住みついている鳥である。 「スズメって鳥を知ってますか?」 「当たり前だよ」 「そうです…

ドナウ・ノートの後篇の後篇、および峠の茶屋

Post-prae-ludium per Donauについてのノートは、各論のあいだに後期ノーノ全般についての総論が2回挟まる構成になっている。 ドナウのための後-前-奏曲のためのノート 各論1 00m00s-07m00s 総論1 07m00s-07m53s 各論2 07m53s-11m12s 総論2 11m12s 各…

ブルーノーノ 第一部 1/8

N1 ノーノのinfiniti possibili なにか限りのないものに向き合っているという首尾一貫した気分によって、後期ノーノの十余年が裏打ちされているらしいということは、この時期のノーノが残した文章や発言のなかに頻出するinfinito(無限の)という語彙が教え…

ブルーノーノ 第一部 2/8

B1 ブルーノのアンピトリテ 世界の複数性に関して、ブルーノがカッチャーリの群島といっけんよく似た絵を宇宙空間に描いているとしても、ひとたびブルーノの思想内容を吟味してみれば、それは鳥の翼と昆虫の翅が似ているがごときものであることがわかる。カ…

ブルーノーノ 第一部 3/8

N2 ノーノのsuono mobile しばしば「島」に喩えられる後期ノーノの音は、島と呼ぶにしてはやや奇妙なある独特の性質を具えている。 そのsuono mobileという表現を、ノーノは1983年に初演されたGuai ai gelidi mostriに関する断片的なメモ *1 のなかではじめ…

ブルーノーノ 第一部 4/8

N2 ノーノのsuono mobile(承前) 五線譜上ではただ一つの音符で単純明快に、univocalに書き表される「単一音」が、じつのところ無尽蔵の多様性を孕んでいるという発見は、音を「書く」ことについてのノーノの意識を根底から揺るがす事件であったはずである…

ブルーノーノ 第一部 5/8

C1 カッチャーリの結晶化する世界 サルヴァトーレ・シャリーノがLa lontananzaのKAIROS盤CDのライナーノーツのなかで披露している痛快な逸話は、ノーノがいかに「固定」と名のつくあらゆるものを、たんなる作曲の方法論に留まらずほとんど生理的レベルで忌避…

ブルーノーノ 第一部 6/8

B2 ブルーノの流動化する世界 多様な差異と見られるものは、ただ一つの無限な実体の多様で異なった相貌であるにすぎないという思想に支えられたブルーノの多様性のモデルは、海のような無限の広がりのなかに、島のような固定的なものの存在を認めない「外洋…

ブルーノーノ 第一部 7/8

N3 ノーノのaltro ノーノのsuono mobileに息づいているブルーノ的精神を確かめるためには、suono mobileの最終形態から話をはじめるのが一番分かりやすいだろう。 前にも言ったとおり、ノーノがsuono mobileという概念にはじめて言及したのは、1983年のGuai …

ブルーノーノ 第一部 8/8

N3 ノーノのaltro(承前) ところで、後期ノーノの音楽のなかでは、今まで述べてきたaltro...altro...とはまた別のリズムを聞き取ることもできる。いやむしろ、そちらのほうがずっと「メジャー」な、表看板にあたるリズムだと言ったほうがいいだろう。 後期…

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの後篇の前篇 1/5

これはPost-prae-ludium per Donauの演奏開始後7分53秒から演奏終了までに起きた出来事についてのノートの後篇の、前篇である。予想外に長くなったので後篇はさらに前―後篇に分かれることになった。 0753-1000 それでも鼓動はまた動きだす Post-prae-ludium …

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの後篇の前篇 2/5

1112b 純粋性について Post-prae-ludium per Donauの11m12sに現前すると期待されている空虚を07m00s-07m53sの空虚とは異質であるとしているのは、後者が細部性の次元で起こる溢水の産物であるのに対し、前者は純粋性の次元に属するとみているからである。で…

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの後篇の前篇 3/5

1112c 別の海 オルペウス教の精髄は、Prometeoのリブレットのなかでは、Isola seconda b) Hölderlinを締めくくるfratelli infelici「不幸せなきょうだい」という言葉に集約されている。(天上の幸福な神々に比べて、労苦を抱え地上をさまよう人間はいかにも…

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの後篇の前篇 4/5

1112d 産出する空虚 「別の状態」へのムージルの思いいれにはひとかたならぬものがある。ならば未完に終わった『特性のない男』のなかで、別の状態こそが究極的な到達点となるはずだったのかというと、どうやらそうではないという説の方が有力のようである。…

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの後篇の前篇 5/5

1112e ヴェーベルン島とノーノ島 ところでカッチャーリは、先に引用したPrometeo論のなかでノーノのPrometeoはコンポジションであるとも書いている。 ノーノのプロメテウスにとってロゴスとは、同じではないものを、そのようなものとして、それらの区別を保…

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの前篇 1/4

これはPost-prae-ludium per Donauの演奏開始から7分53秒までに起きた出来事についてのノートである 0001 Post-prae-ludium(前奏その1) ノーノのライヴ・エレクトロニクス作品の制作拠点であったフライブルクのハインリッヒ・シュトローベル記念財団実験…

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの前篇 2/4

0000-0430 晩夏 演奏開始から5m20sまでのあいだ稼動するライヴ・エレクトロニクスのプログラム1は、チューバの演奏音に対し、5、7、10、15秒の4つのディレイを生成する。このディレイの設定の意図を知るためには、別の作品、二人の奏者のためのA Pierre (1…

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの前篇 3/4

0700-0753 海鳴 7m00sから53秒間にわたって、断片群は消失する。断片が消えた状態であるということは、楽譜を見ても明らかである。C1の超低音を指示する全音符が一つ置かれているだけ。音符にはフェルマータが付けられ、ca53''と書かれているが、循環呼吸の…

ドナウのための後-前-奏曲のためのノートの前篇 4/4

0752 溢水 ダラピッコラのオペラIl Prigionieroを海とするならば、ノーノのCon Luigi Dallapiccolaはその海に浮かぶ捕鯨船のようなものである。Il Prigionieroの海原を遊弋していたfa-mi-do#というたった3音の素材が、Con Luigi Dallapiccolaでは船上に引き…

Guai ai gelidi mostri Texts 概略 1

1 2人のアルト歌手、フルート(+持ち替えのピッコロ、バスフルート)、クラリネット(+持ち替えのピッコロクラリネット、コントラバスクラリネット)、チューバ(+持ち替えのピッコロトランペット)、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ライヴ・エレクト…